川島雄三て!?(藤本義一による)

気になる映画監督の1人
とはいってもビデオで2本少し前にみただけ
<須崎パラダイス、日活S56>ちょっと言いようもない魅力
<幕末太陽伝、日活57>のフランキー堺のハチャメチャな怪演に驚いた

 それで、「川島雄三サヨナラだけが人生だ」(藤本義一著)
(ISBN4-309-26453-0)を手にしたが、ちょっと残念だたのが、藤本自身の(生きいそぎの記):オシくも直木賞受賞を逃したぐらいだからよく書けていのだが、師匠である川島と弟子である脚本家見習いの自分の関係を綴ったもの。
 
 その心理的な距離感がベースになっているのだが、著者藤本の師匠に対する思い入れや気遣いがある時は、愛情、別の時には、憎悪になり揺れ動く心理劇でもある。
 彼川島を対象にしているのは無論なのだが、いつの間にか著者自身の心理を俎上に載せてしまった感もある。:難しいとこではあるが、、、、

 一般的に言えば、師匠と弟子の関係て、加虐と被虐S&Mなんだな(^_^;)
 
 それで、師匠川島を描き切ったかと問えばノーで、イエス
と言うのは、今言ったように弟子という特別な位置から見た川島像が出てきていて、確かに奇才奇人ではあっただろうが、
本当にそんなにも陰鬱だったのかとも疑いたくなるところもあるからだ。
 勿論そのオチョクる、意地悪をするイタズラな側面を誇張して描けば、SMの悲喜劇になってしまうんで、そこは藤本かろうじて筆を押さえて描いている。
例えば、弁慶か牛若どちらを選ぶかと師匠に聞かれ藤本が牛若と答え、大喧嘩になる場面:
「帰りなさい帰れ!」と怒る川島に対して弟子のおれが殺意に近い憎悪を抱くシーン:
 監督の視線が宙を泳いで、おれに照準が合った。暗い目である。かぎりなく暗い。だが、底の方に嘲笑の炎がちろちろ燃えている。それも死んだ子供を悼むといったものが混じり合った嘲笑なのだ。おれの殺意は萎んだ。
、、、部屋を出た。p48:

 家に帰る途中で監督が随筆を書いていた古雑誌たまたま寄った古本屋で土産に大枚はたいて買って戻ると電報が届いていた。
「サウオナラヲイワズニカエルワヒキヨウデス、カワシマ」
こんな調子、、、、

 川島のダンディーとはうらはに、彼自身が小児麻痺と言っていた筋萎縮症、藤本はシャルコー病ではなかったかと疑っていつが、これを弟子になった初日に知らされた衝撃それから藤本は逃れられなかったのではないのか、ある意味で痛々しい無残なドキョメント、いや師匠に対するオマージュ。
 
 ただ、この本で面白かったのは、やはり、
小沢昭一との対談:
川島雄三という人に対しては、関わったみんながみんな、自分だけ川島雄三の理解者だと思っているところが、おもしろいですね。
、、、、、、p188
百人が百人、川島雄三に接した者のイメージは百人通りだと言っている。


でも、この本で物足りないのは、川島雄三その人の印象また実像がどうであれ、僕に取っては、作品がすべて、、、
せめて藤本自身の作品論と言うか、レビューでも載せてもらいかった(x_x) あーそれと筆者の「おれ」は不適切、自分叉は僕の方がよかった。

 あー、川島作品について何も書けなかったな!!(^_^;)