1979-01-01から1年間の記事一覧

アフガン・フリーク(バーミヤン)

バーミヤン 1979,9,14 バーミヤンには直接行く手立てはなかった。しかし、ヘラート経由で半日ほどの時間でいけなくもない。 バーミヤンに着くまでに、一度昼食を取るために小さな村落に寄った。食べ物といえば、白く、鈍い、光沢を放つ、汚れたアルミニウム…

アフガンフリーク(罌粟の夢)

1979,9,10 罌粟の夢 宿へ戻ろうとしていた時、少年がこちらに小走りに走ってきて、話があるから来てくれないかという。何だろうかと警戒しながら後ろについていった。少年は斜め向かいの土産屋へ入った。奴等は安物のアクセサリーか何かくだらないものでも売…

アフガン・フリーク(害虫め)

1979,9,8 さて、ホテルを替えよう。確かに、ヘラートより雰囲気も良いホテルに違いなかったが、昨夜の御茶代を誤魔化すような子供がいるようなところは、許せない。少年の無垢の裏側に潜んでいる残酷さが鎌首をもたげ、旅人の足を噛む。それこそ毒の一撃だ。…

アフガン・フリーク(カンダハール)

カンダハール カンダハールの夜景が迫って来た。バッグから、手帳を取出し、通りと宿の名をそらんじた。広い道路の両側に商店や民家が並んでおり、青色や緑色の光が暗やみを照らし、往来の人々は、叫び、がなり立て、喚き散らす。騒音と猥雑な、賑やかな活気…

アフガン・フリーク(ゴロツキども)

カンダハールへ KandaharNow Weather of Kandahar 1979,9,6 ベッドから跳ね起きると、荷物を急いでまとめ早朝の冷気がみなぎっているペイブメントを駆け抜けた。街路樹に下がった裸電球が黄色く燃えているだけで、街は、薄闇と深緑色とが渾然と溶け合い、嗜…

アフガン・フリーク(陽炎の中へ)

カンダハールヘ行くためバスチケットを買いに行った。 泊まっているホテルに面するダーワーズマリク通りをまっすぐに、昨日西瓜を買った方とは反対に向かった。 しばらく行くとホテルの看板ベザードホテルが目に入った。それまでこんなところにホテルがある…

アフガン・フリーク (ヘラート)

ヘラート Now Weather of Herat 翌日イスラムカラから転げ込むようにバスに乗り込んだ。ヘラートへ、ヘラートへ、一気に進め。午後一時半頃強い日差しを浴びながら、バスから降ろされた。ヘラートの広場にバスが到着する直前のことだが、民族衣装を着た、い…

アフガン・フリーク(イスラムカラ)

国境にて 1979年9月3日から一ヶ月間のビザを再確認してアフガンに入った。入国手続きを済ませたからと言ってイラン国境からアフガン国境まで風景が変わったわけではない。アスファルトの道路が一直線に道路を切る。ミニバスと呼ばれる五、六人乗客を載…

アフガン・フリーク(パリのジャンキー)

パリのジャンキー ジャンキーに出会ったのはパリのポンピドゥーセンターの裏通りだった。その頃暇さえあればよくポンピドゥーへ出かけたものだった。泊まっているところから歩いて二十分の距離だった。 バックパックの貧乏旅行者や大道芸人や髪を赤や緑に染…

アフガン・フリーク イントロダクション

アフガン・フリーク(アフガン奇行) イントロ 旅が始まったのは新生を告げる早春だった。いや旅というよりも一種の逃避行に近いものだった。しかし何からの逃避か?自分自信から?日本にこのまま燻っていても腐るばかりだ。自分の環境をかえなければ窒息し…

アフガン・フリーク イントロダクション(背景・年表)

当時のアフガニスタンを知れば・・・ 参考にしてください>無理に読む必要はありません目次 1979-spring アフガン・フリーク(イントロ) http://d.hatena.ne.jp/utu/19790006 1979-09-03 アフガン・フリーク(イスラムカラ) http://d.hatena.ne.jp/utu/197…