アフガン・フリーク (ヘラート)

    ヘラート
  Now Weather of Herat

 

 翌日イスラムカラから転げ込むようにバスに乗り込んだ。ヘラートへ、ヘラートへ、一気に進め。午後一時半頃強い日差しを浴びながら、バスから降ろされた。ヘラートの広場にバスが到着する直前のことだが、民族衣装を着た、いかにもフリークアウトした二人の白人の姿を見た。彼らと一緒にハッパが据えるだろう。しめしめ、これでアフガンハシュシュに出会えそうだ。そう考えただけで体に沈殿していたハッパの残滓、残り火が反応した。
 ふふふふ。涙が出るほどおかしい。笑い死にそうだ。突然深海魚が海から引きだされ、水圧差に耐えきれず凄まじくパンクするように、自分の体内のどこかが膨張し、変形し、潰れそうだ。多分ノーマルな自分とアフガンハシュシュに感応し、肥大化しつつある無数の細胞と化したもう一つの自分とのズレ、侵食してゆくアミーバ、血液に澱んだハッパの飢えを凝視しているノーマルな自分との落差、ここから止めどない笑いが生まれるのか?
 おかしさが湧出する。哄笑の連続爆発だ。体中の皮膚という皮膚からプスプスと音をたて体中の空気が漏れる。ペチャンコだ。もう一人の自分が脱皮する。蛇のように易々と自分の背中から剥がれ落ちる。栗鼠や鼠の小動物を思わせる敏捷さで木陰に隠れてしまう。俺が笑っているのではない。隠れん坊をしていたやつが俺を鬼に見立てて笑っていたのだ。ふふふふふ。俺は浮かび上がった深海魚だった。

 Jホテルを求めて、先は人通りのある方向へ足を進めた。一本のアスファルトにそって街並みが続く。道路の両端に商店が眠りこけ、店の奥では店主がだらしなく寝転がっている。
 強い日差しを避けて、木陰や店と店の狭間で西瓜やメロン、その他いろんな果物が一列に並べられていた。まばらに人が行き交い、その中を旧式の自転車が数台疾走していた。
 気がつくと、いつの間にか子供たちが自分の周りを取り囲み、何やら囃し立て、がなりたてていた。何を言っているんだ?彼らもこちらも互いに胡散臭そうに好奇心の入り交じった眼差しを交わしあった。
 旅行者がどこへ行こうとも、異国の風景を恍惚と、あるいは、呆然と、あるいは、慄然と見ているうちに、家の中から、物陰から無数の燐光を放った目が、異邦人の一挙手一投足をじっと無言で凝視し、観察する。そしていつしか旅人はその視線に吸い込まれてゆく。こうして視る者と視られる者との立場は逆転する。いま俺のからだは彼らの視線を痛いほどはっきりと感じている。
 
 目的の宿はどこにある?
「Jホテル、わかるか?Jだ、Jはどこだ?」
 英語が分からないからか、しばらく反応が無かったが、ようやく二、三人が話し合い、その一人が鸚鵡返しに「J、J」と言い、道の一方を指した。
 子供たちはバックパックの後ろをぞろぞろついてきた。トルコの少年たちと同様無邪気な目つきをしていた。
 歩いて十五分。ホテルの前に着いて愕然とした。閉まっているではないか。そんなばかな。何で閉まっているのか。二階建てのホテルの表は煤か炭のようなものが辺りに飛び散り、へばりついていた。一階の入り口も二階の窓も横板で釘打ちされ、封印されていた。 内部に何か凄惨なものを隠蔽している、そんな印象を与えた。
 本当にここがJホテルなのか?信じられない。Jと言う名は中近東では珍しくない名前だ、ひょっとして子供たちが間違えたのかも知れない。もう一度念を押して間違いないか確認したが、ここらしい。訳が分からない。まるで狐につままれたようだ。今までずいぶん宿を探してきたがこんな奇妙な経験は初めてだ。多分火事になったのだろう、引き返そう、そうするしかない。だが、宿無しだ。不安が募った。以前持っていた寝袋が無いだけ余計に弱気になってきた。あの時やらなかったらよかった?

 中近東では寝袋は無用だと思って、イスタンブールで欧州へ行くCに売り渡したのだ。今になって分かったのだが、それがあるかないかで旅人の気持ちはずいぶん変わる。宿が無くても、雨さえ降らなければ木の下で夜露をしのぐことだってできる。服以外に体の上をすっぽり覆うものが何かあれば、生の外界を遮蔽して、安心感を与えてくれ、安眠を約束してくれる。まさに寝袋は人が最低限生きてゆくために考案された基本的な道具の一つだ。旅人の心の支えとなる。嵩張りはするが、重量はほとんどないに等しいのだから、お守りとでも思って手放さなかったらよかった。
 しかし、そのかわりに今頃きっと彼の役に立っているだろう。俺同様、貧乏旅行の彼は、教会の下や地下鉄の片隅で底冷えのする欧州の夜をそれでしのいでいることだろう。
 期待していた宿が無かった。それは少なからぬショックだった。最初打ちひしがれ萎えていた気持ちは次第に怒りに変わってきた。やり場のない怒りを誰彼構うことなく投げつけてやりたかった。
 「うるさい!ガキ奴も!」そうがなり立てた。
 自分でも顔の筋肉が痙攣するのを感じた。怒気を含んだ大声と怒り狂った顔に驚いて、何か話していた子供たちは蜘蛛の子を散らすごとく逃げ出した。ハッシュ!ハッシュ!
 とにかく引き返そう。何分か歩いているうちに運良く警官に出会えた。彼はもとの道を指指しながら、片言の英語で今しがた来た道を引き返せと言った。しかし彼にホテルは閉鎖されていだと説明するのも疲れていておっくうだった。奴も知らないのか?或いは俺が見過ごしたのだろうか?魔法にかかったようなものだ。
 考える気力もなく、ホテルに戻る頃にはただこの魔法が消えているように、そう念じながら重い足を引きずった。
 しかし、ホテルはそのままの状態だった。当然何も変わっていなかった。魔法にかけられたわけでもなければ、また夢でもなかった。現実が傷口をさらしていた。廃屋と化したホテルは太陽の反射を受け、痛々しかった。不釣り合いほど明るい光を浴び、無様に崩折れていた。
 俺もいつかこうなるだろう。くたばるだろう。微小なものがその重力から解き放たれ、自由な空間を存分に満喫するだろう。埃や羽虫や小さな金属片が衝突し、旋回する最中、俺は廃人として死ぬだろう。
 
 あきらめて、ほかにも安宿がないとも限らない、そう気を取り直して宿を探した。だが、どこにもホテルらしい建物は見当たらない。出会った男に聞くが全く英語が出来ない。次第に焦ってきた。どれぐらい歩いていたことか、少なくとも半時間は経っただろう。
 右側に赤色のペンキでインド風の名が書かれた、色褪せた看板が映った。ありがたい。ホテルだ。これで少なくとも一軒は寝る場所が確保できた。ほっとした。急に足下に力が出てきた。ようし、もう少し行ってみよう。ほかにも宿があるかも知れない。足を進めた。
 歩いていると、不透明な白い暈が街全体をすっぽり包み込み、現実感が妙に無かった。洗いざらしに漂泊された街路、人、そして街路樹、これらすべてが絵空事のようだった。歩いている人間でさえ、魂のぬけがらのようだった。人形に思えた。青い虚空に吊るされた太陽が落とす光の束の中で、仮死状態の街が横たわっていた。引用
ここは夢の先住民たちが住みついていた。ある不思議な静けさがすべての物のうえに漂っていた。異様な形を下、わけの分からない物の姿がいくつもー視なれない木の祭壇のうえで風雨にさらされていたが、それらはともするとみるも恐ろしい異国的な形体の塊となっていたのにもかかわらす、あたりをとりまく平和のなかにしっくりとけこんでいるのだった。
 バカなと舌打ちすると、こめかみから滴る汗を払い落とした。一瞬、太陽がその銀色の水滴に溶けて五色の綾なす幻が生まれたようだった。しかし体内から吹き出た一滴の汗玉はまたたくまに蒸散して、空中に拡散した。

 ホテルの便所臭い階段を上がり、観音開きのガラス張りの扉を押して中に入った。宿主は予想通り高い宿賃をフッかけてきた。五十アフガニと。「三十アフガニだ」これ以上びた一文出せない。執拗なまでに三十アフガニと繰り返した。こちらは絶対に引き下がらないつもりだった。ところが、予想外のことだが、相手は特に不満そうな様子もなくいとも簡単に承諾したのだ。まさかこんなにも簡単に話がまとまるとは思ってなっただけに、拍子抜けだった。Jホテルの値は二十から三十アフガニと聞いていたから彼にすればそれでも十分いい値なのだろう。
 バックパックを肩から下ろすと、ベッドにひっくり返るように体を倒した。誰もいなかった。国境の政府直営のホテル同様、ほかの旅行者はほかに誰もいなかった。誰かカンダハールヘ行く旅行者か、逆にカンダハールからヘラートを経てイランの方へ向かう者が泊まっていてもよいものだが。このままでは次に行くカンダハールの情報が手に入らない。そのため少し不安になってきた。手帳を調べたが、宿泊施設については、二ヶ所宿の名前が書かれていたが、ほかは宿と関係ないことだけだった。
 ベッドに横になり、某出版社の旅行案内書『中近東』編のページをめくってみた。この本はCがくれたものだった。俺がアフガンに行くというのに、地図も案内書も持っていないのを心配して、もういらないからと言ってくれたのだった。せっかくもらったのだが、生憎、ほかのものと同様、判が古いため正確な情報は期待できない。あきれたことにヘラートの項目には地図さえ載ってない。所詮、この種のガイドブックは金に余裕のある旅行者向けで、バカボンには関係ない。たとえ、本に情報が記載されていても、このアフガンではどの程度役に立つのだろうか?Jホテルがいい例だ、実際目的地に行ってみなければ何も分からない。

 アジアは日々刻々と変貌している。ここアフガニスタンも内乱と戦争が砂嵐のように、内部から渦巻き、猛威を振るっている。一国の国境もでさえ、ある日突然縮んだり、延びたりする。それは絶え間なく運動する生き物だ。国境は孤島に住んでいる我々が考えているような固定的なものではない。それは隣国との相互関係で変化し、時には暴力によって侵犯される虚構の線だ。国境は人を閉じこめるためでなく、乗り越えられるためにある。このように思ったのは、イランとアフガンの国境で越境行為を目撃したからだ。

 イラン側のイミグレ事務所で手続きを済まして、出口の扉ヘ向かった時のことだった。アフガン人達が十二、三人集団になって腰を低くして走っていった。不審に思った。こちらの入国手続きの係官の目の行き届かないところを選んで、辺りに目を配り、異様に警戒し、緊張した顔つきをしていたこと、そして見つからないように体をくの字になるほど不自然に折り曲げていたことさらに脱兎のごとく素早く逃げ去ったこと、これらを考え合わせると越境か密輸だとしか考えられなかった。背中には黄いばんだ白い麻布が揺れ、その姿はアラビヤナイトに出てくる盗賊を髣髴とさせた。国境について何も知らなかった自分は舌を巻くほかなかった。

 国境を自由に出入りするアフガンの民はもともと遊牧民であり、かれらにとって国境やその元である国家という概念自体、作為的な、滑稽なものとして映っているのかもしれない。
 彼らは季節とともに自然にしたがって駱駝や山羊や羊を連れて移動していた。そこには我々が言う意味での「国家」というのはないであろう。

 視線を再びガイドブックに落とすと、活字がそれまでと違って見えた。鱗のように生々しい日本語が懐かしく迫ってきた。旅行者が必ずといってよいほど携えている日本語の本は一体どんなものか?
 例えば、『アジアを歩く』は初版から十年以上経っているにもかかわらず、我々のようなバカボンの間では好評を博している。勿論、その内容、情報は古くなっているが、例えば、そこに取り上げられている安宿の何軒かは今も現存しているし、また、陸路で中近東の国々を次々と越えてゆく者にとっては、その国境ルートや地図が大変ありがたい。

 喉が渇いたので小さな西瓜を買ってきて食ったが、熟していず、果肉は白色で、甘味が少しもなかった。何か騙されたような気がして、自棄食いをした。
 外を歩いても、ほかに旅行者らしい姿は見えなかった。街は不気味なほど静まり返っていた。もう子供たちも後を追ってくることはなかった。無邪気な笑い声や歓声は消えていた。出会う人の表情は喜怒哀楽を少しも表さず、無関心だった。すべてのものが薄ぺらで、表面的で、核がないようだった。街の上の空は信じられないほど青く美しく染まっていた。しかし、もしその皮膚を一枚はがせば、隠された何かが暴き出されそうだった。ハッシュ!ハッシュ!