アフガン・フリーク(陽炎の中へ)

 
 カンダハールヘ行くためバスチケットを買いに行った。
 泊まっているホテルに面するダーワーズマリク通りをまっすぐに、昨日西瓜を買った方とは反対に向かった。
 しばらく行くとホテルの看板ベザードホテルが目に入った。それまでこんなところにホテルがあるのに気づかなかった。そこも旅行者がいる気配は全くなかった。ほかに宿があったとしても空っぽだろう。
 目的のバス会社が見えてきた。だが、白焼き色で書かれ旅先を示す文字は全部はげ落ち、店は潰れていた。国内の軍事、政治状況が悪化してきたため、ここヘラートからはカンダハールのほかどこへも行けなくなった。ゲリラの出没のためもはやカブールからはその先の、あの有名なバーミヤンの仏蹟やマザリシャリフヘ行く交通手段は絶たれてしまった。
 潰れたバス会社を越えて、少し行くとまた別の会社があった。ガラス越しに覗くと男が二人所在なげに暇を潰しているようだった。中に入ると驚いたようにソファから跳び上がった。まさか客が来るとは思ってもいなかったようだ。
 一人は小柄な白人で髪は栗色だが、目は青かった。もし漫然と視ていると、てっきり欧米の旅行者と見間違えるだろう。ヘラートの街中を後で散歩して気づいたのだが、ここにはありとあらゆる人種が出入りしていた。蒙古系、イラン系、ロシア系という具合に、それこそ人種の坩堝という言葉がぴったり当てはまった。中には日本人そっくりの顔つきをした者に出くわし、懐かしさに捕らわれ、思わず挨拶をしてしまうところだった。
 だから、ヘラートに着いたとき、バスの窓から見かけたバカボンと思ってたのは、実は欧米人でなく、ここの現地人に違いなかった。早とちりして、勝手にハッパが手に入る等と想像をたくましくしていたが、大きな誤算だった。
 碧眼の小柄な男にバスの値を尋ねると五百アフガニと答えた。これを聞いて驚くよりも、激怒した。ほんとの値が百十アフガニであるという情報は、入国する前に出会ったバカボンから宿代やほかの情報と一緒に手に入れていたのだった。狼狽した奴が値引きの声を掛け、追いすがるようにこちらにやって来た。もう何も頭の中に入らない俺は、奴を無視して、勢いよく外に飛びだした。
 五倍もフッかけて、こいつらときたら、旅行者が全然いないものだから、この時とばかりカモろうとする!
ハッシュ!ハッシュ!
 アフガン商人の悪辣さ、喧嘩については、寝袋をやったCがこんな話をしていたのを思い出した。何か些細なことで悶着をおこし、ついには連れのアメリカ人と一緒になってそいつと殴り合いの大喧嘩をした。
「やつらは、騙すことなんか平気やで。そやけど、まあ、喧嘩は止したほうがええな。かれらと太刀打ちするんやったら、日本人一人ではとてもかなわんからなあ。その体のでかいこと言うたら。欧米人以上やで。そのでかくて、強い手、腕、胸元、牛のような首を見たら分かるで。大人と子供が喧嘩をするようなものや。一人で戦っても勝負の結果は見えとる。とにかく、好戦的で、凶暴やから、気つけたほうがええで。」そう吐き捨てるように言った。
 ほかの者も彼らについて、少しもいい思いをしてなかったようだった。宿の主人が気前よくハシュシュをくれ、彼らと一緒にやったと言った者を除いて、大抵、嫌な体験を思い出したくないのか、多くを語らなかった。
 このことがようやく分かりかけてきた。
 熱した頭を冷やそうと、当てもなく街中を徘徊した。だが、やつらに劣らず、アフガンの太陽も強欲だ。建物や、その壁が作る影の中に入らなければ、日射病でやられそうなほど暑い。頭に薄衣がかかったようにぼんやりしてきた。遮蔽物の少ないアスファルトの大通りを外れ、土埃の立つ、赤茶けた道をでたらめに歩いていると、不意に、宮殿、いや、イスラム教寺院モスクが目の前に現れた。

 陽炎
 
 雲一つない完ぺきな空、その紺碧色を背景にモスクの壁面の青色と緑色が絶妙な色合いで美しく溶け合っていた。近づいてゆくと、これらの色は、複雑な幾何学模様とアラベスク模様を作っていた。建物の優雅な曲線とほかの部分の平行線などが作る直線とが鮮やかなコントラストを作り、それでいて、全体としての印象はうまくバランスがとれていてしっくりと静かに佇んでいる、そんな感じだった。見ていると、この寺院の姿は脳裏に確かな印象を刻み込んだ。といっても、強烈なものでなく、むしろ反対に、妙に希薄なものとでも言うべき、しかしそれだからこそかえって、意識下にじわじわと浸透するようなしるしを付けた。それは、背景の宗教が違うとは言うものの、西洋のキリスト教会に見られるゴチック建築洋式と余りにも対照的だった。  

 例えば、ゴチック建築の代表の一つとされるケルンのドームは屋根の先端を天までとどけと言わんばかりに延ばしていた。中世の宗教心と関連するのかも知れないが、内部の強烈な欲求、それも、肉欲に似た、暗い情念を抑圧し、それを天上界へ昇華させた様なところがあった。
 これに対して、モスクの方は、平衡感覚を基本にして造られ、とりわけ、その曲線は女体を思わせるエロチックなもので、シャープな直線と程よく調和して、内部で充足し、満ち足りた静謐感を漂わせていた。

 モスクの周りには、人の気配はなく、ただ陽炎が視界を歪めるほど燃え盛っていた。そのせいか、建物は重量感に乏しく、中空を漂っているように見えた。
 瞼の筋肉が引きつけを起こしたように、目が開きっぱなしで、空中楼閣めいた像を二、三分とも二、三十分とも分からぬ間、見続けていた。ハッパで陶酔感の大波に打たれ、歩くこともままならず、じっと座り込んでいる状態を指して、石にちなんでストーンと呼ぶが、まるでストーンした時のようだった。
 泥を積み挙げ乾燥させような、粗末な小屋のチャイハナで熱いチャイを飲んで暫し休んだ。
 それから寺院の中へ入ろうとした時だった。高さが四十センチ以上もある陶製の壺の本体にホースのようなものが巻き付いていた。水パイプが壁のそばに無造作に置かれていたのだ。驚いた。この水パイプでハッパをやりながら、モスクを見ていれば、最高だ。それこそ永久に石になってしまう。そう考えただけで、ゾクゾク興奮してきた。周りに残り香がまだないかと、まるで犬になったようにクンクン嗅いでみたが、時間がたっていたせいか、あの鼻腔にツンとつくハシュシュの特有の匂いはなかった。惜しいことをした。軽い失望感を味わったものの、これから行く先々で、ハッパをやれそうな期待が膨らんだ。
 
 チャイの入ったポットと小さな湯飲み茶碗の周りに我々四人は車座になり話し合っていた。一人は二十代後半の年格好で、頑強な体をしていて、英語が話せた。ほかの二人は、その友達で、顔にまだ幼けないところが残っていた。学生だと言っていたが、十五、六歳ぐらいだった。
 年上の男の兄が日本に留学したことや、日本人がカブールで柔道を教えていることを話してくれた。熱心に日本のことを知りたがっていた。理解できるだろうかと気にしながらも、矢継ぎ早に質問してくるのに必死になって答えた。ふとしたことから、質問が結婚に向かった。自分が独身であることそして、日本の事情を説明し、話終えると、今度は彼らが答える番だった。「男は持参金として相当なお金を用意しなければ結婚できない」そして年長の彼は「自分にはまだ十分なお金がない。」と寂しげに呟いた。
 女についての話が埋もれていた記憶を不意にかき立て、呼び覚ました。
 引用  頭蓋にこびりついた魔法をかき散らし旅をしなければならなかった。
 この腐った脳を養分にして肥え太り、出ぱった腹をブルブル震わせる女郎蜘蛛を叩き潰すために。ひねり潰すたびに、その腹から卵が飛び出た。
 饐えた人いきれや臭い体臭を誤魔化すためにつける安物の香水、女が客を引く黄色い声、男が値引きをする低いくぐもった声、これらが混ざり合い、からみつき、いつしか融合する真昼のサンドニ通りの裏道。キナ臭い女の夢がパリの一角に潜んでいた俺の欲望を責め付けた。狂おしい肉欲が俺をパリから離さず、夏の、上気した空気が漂う街中を彷徨った。娼婦というより、場末の魔女と言う方が似つかわしかった。燻った街のデコールに映える緋色や紫色や黄色や紺色のケバケバしい衣装の中に、いらだった欲望が吹き寄せた。透明な風船の中で女と爪を立てあい、もがきあい、体液と汗を流し、体を重ね合わせ、更に貪欲に果てしなき欲望を求めた。ハッシュ!ハッシュ!
 
 ヘラートの女たちはどこにいるのか?息をかみ殺して、泥の家の奥に潜んでいるのか?モスクの中で礼拝するチャドリを被った女を見ただけで、それ以外全く見かけなかった。街で出くわすのは皆男ばかりだった。男の精液や汗はことごとく乾いた砂塵の中に吸い込まれ、消えてしまうのだろうか?
 ガイドブックの写真を見せるとその目は爛々と輝いた。
「これはどこ?」
イスタンブール
「これは?」
「トルコだ」
「これはアフガンか?」
「いや、違う。イランだ」
 彼らの視線はしばらく写真に釘付けになっていたが、宙を泳いで茣蓙が敷かれたこの陋屋の破れた壁を越えて、さらに砂漠を越えて、ついには海を越えて、見知らぬ異国に向かっているようだった。その陶然とした虚ろな瞳は何を夢想していたのか。見た写真に自分たちの先祖の遊牧民の荒々しい血をかき立てるような何かがあったのか。それともここでは容易には見られない、美しい精巧な写真にただ魅せられただけなのか。
 彼らは行きたくても今見た国々へは行けないだろう。かっての遊牧民の時代は終わりつつある。今では荒地を耕し、種を蒔き、貴重な水をやり、麦や、果実、農作物を取り入れる。土地に定着しつつある。しかも農民の大部分は貧しい。ほとんどの者が外国ヘ行く余裕がない。現実はそうだ。

 別の一枚の写真を見た途端に大声を一斉にはりあげた。
「これはバーミアン、バーミアンだ!」
 彼らの一人がそこへ行ったことがあると自慢気に言った。そこでここからバーミアンへ行けるのか聞いてみたが答えは治安が不安で無理だということだった。しかし、カブールヘ行けば、運が良ければ、そこからバスがまだ出ているかも知れない、そう言い添えた。
 チャイが運ばれてきて、飲むように奨められたが、一瞬ためらった。彼らの好意を素直に信じてもよいのか、それとも今まで経験したアフガン商人のような手ひどい仕打ちが待ち構えているのではないか、何か下心があるのではないか、疑念が湧いた。目つきをじっくりと観察するが、目の奥の表情まで窺い知れない。どちらか分からない。
 せっかく出されたチャイを無碍に断るわけにもいかず、迷った末、思い切って一飲みすると、礼を言って、土で出来た階段を下り、外の明るい日差しの中に出た。何かほっとするとともに、疑ったことが恥ずかしかった。彼らはただ日本に関心をもっていただけで、悪意も底意も何もなかった。いや、見ず知らずのこの俺に茶までおごってくれたのだ。
 考えてみれば、あの時、気持ちが落ち着かなかったのは、初めて会った者に対する一般的な警戒心から来ていただけではなかった。実はもっと別のところから来ていたのかもしれない。
 あの家に入る前、モスクから出て歩いていた時、男とすれ違い様、不意にかすれた小声で「ハシュシュ」と声を掛けられた。余りにも唐突すぎたので、咄嗟にどうすることも出来ず、その売人をやり過ごした。ところが、それから数十メーターも行かないうちに、先程の少年たちに出合ったものだから、奴の仲間かも知れない、だとすれば、いつハシュシュを取り出し取引になるのかな、こうした期待と不安が心の隅で交錯していたのだ。ところが、いつまでたっても話題はハッパに向かわなかった。痺れを切らして、よほどこちらからハシュシュの件を切り出そうかと思ったほどだ。だが抑えてよかった。その後、話やその表情から少年たちがハッパと無関係だと次第に分かってきたからだ。
 確かに始めて出会った者からハッパを買う時、気分は不安で苛々した状態だ。勿論、期待感もあるのだが・・・・
 概して、見ず知らずの者から高価な物を買う時、気持ちが多少とも落ち着かないものだ。とりわけそれが売人(プッシャー)の場合は、周囲を不安そうに見渡し、狡猾な、暗い目つきをこちらに向けると、まるでこちらまで感染したように何か、ヤマシイことをしているような気分になり、不安感と緊張感で胸が一杯になり、ついには堪え難くなる。そして奴を信用していいのかまったく分からなくなる。
 ハッパなら、この目でモノが本物かどうか、また、その質の善し悪しについても、ある程度、分かるからそれほど問題はない。
ところが、これが肉眼では確認できない物(ブツ)、例えば、LSDなら話は全然別になる。見るだけでは分からないからモノそのものでなく、代わりにそれを扱う者や売人にモノの真偽、質を問うしかない。しかも、見ず知らずの売人なら、彼を信用するかどうか、それは一種の賭とさえ言える。不安と猜疑心が極限にまで達する経験もした。
 
 アムステルダムで体験したことだが、LSDの売人を結局、信じなかった。
 昼下がり、緑がまばらな公園のベンチに座っていた。両手に隠し持った三、四十ミリ角の半透明上で出来た黄色いシートをチラッチラッと見せて買うかと問うた。が、奴が言うように、それがLSDなのかどうか分からなかった。LSDは無色透明なので外観上は識別できない。その言葉を信用して彼に賭けるか、それとも偽物だと直感して、買うのをよすか、いちかばちかだった。本物かどうか分かるのは、金を払って、どこかでそれを摂取してから約二、三十分経って効果が現れるまで待たなければならない。真偽を知っているのは売人だけだ。後で、一杯喰わされたと気づいても、もう遅い。奴を見つけ出すのは実際不可能だ。金は戻らない。だから無謀な賭とも言えた。
 その賭の決断をするまで、時間がなんと長く感じられたことだろう。モロッコ人の奨めかた、話し方、表情、場所といった様々の要素を考え合わせながら決断するしかない。それも、一分か、二分の僅かな時間しかない。不安、欲望、猜疑心、恐れ、逡巡、そして最後に決断。スリルというような生易しいものではない。偽物をつかまされるかも知れないという問題だけでなく、最悪の場合、二人とも現行犯で警察に捕まる危険も想定しなければならなかった。そして、この時の決断はノーだった。

 こうしたことから、いつしか自分でも知らないうちに猜疑心や警戒心が強くなっていたのかも知れない。だが、ここアフガンに関しては、今までの経験から、ハッパの類いだけでなく、何事も疑ってかかるにこしたことはない。

 少年たちと別れて、ホテルへ帰る途中、モスクの近くの土産屋に寄った。窓越しに品定めをしていると、店主が出てきて中に入れと奨める。こちらがただ見ているだけだと言うのも聞かず、強引に体を引っ張って中にいれた。無理やり、有無を言わさず、ソファの上に座らされた。チャイを用意するから少し
待てと。だが、こちらは、チャイなどくれとも言ってない。サービスと言っても、そう簡単には飲めない。飲んだが最後、何か買えと脅されそうだ。相手の腹のうちを探りながら店内を見渡した。
 天上から吊り下がっている、ベスト、さまざまな民族衣装、小物、これらすべて、埃だらけで、何十年も前から誰も手を付けていないようだ。灰色の、刺繍で飾られたベストを指指し、冷やかし半分で、値を聞いた。
「二十ドル」
「高すぎる」
「十五ドルでどうか」
「いや、まだ高い」
「高い」
「一度着てみて」
 そう言うなり、ベストを取り上げ、埃をパタパタ手で払い、腕を取って、着せた。内心どうでも良かった。ただ奴がどれぐらいの値まで下がるか試してみたかっただけだ。アフガンの政局混乱の影響を受け、旅行者はほとんど来ないから、どの店も買手市場で、買値はどんどん下がるだろう。
 主人は「よく似合っている。本当にいい。素晴らしい」と買わさんがため、露骨に阿諛追従する。
 従業員の若いロシア人が持ってきたチャイをしきりに奨めながら、ほかの商品を指しあれこれと値段を言う。その、エネルギッシュな商売気に圧倒されそうだ。このまま長居していると、何か買わされる羽目に落ちるぞ。
 ベラベラしゃべりまくり客の歓心を引こうと懸命になっているのに対して、こちらの購買欲は反対にますます落ちてゆき、しまいには煩わしく感じられてきた。出よう。
「折角だけど、もういいよ、もう行かなければ。また来るよ」そう、断った。
「じゃ、いくらで買う?いくらだったらいい?」
「ヘイ、ミスター」
「ミスター!」
 カモを逃すまいと必死になって叫ぶ声を後ろに聞きながら、扉を押した。

 モスクの横に、似たような土産屋がまだ四、五軒あった。端の最後の店に入った。
 中は、銅や、銀でできたアクセサリー、銀細工の小物、民族衣装のシャツ、ベスト、絨毯がぎっしりと乱雑に並べられてあった。ただ、先程の店と同様、品物の一切合切は古色蒼然としており、そばにミイラの柩が置かれていても、少しも違和感がなかっただろう。土産屋というより、骨董屋か私設の博物館の類いだった。
 中に入っても誰も応対する者が出てこなかった。奥の部屋で昼寝でもしているのか?誰もいないことをいいことに携帯可能な小さい天秤がないだろうか、探してみる。
 
保留