アフガン・フリーク(ゴロツキども)

  カンダハールへ  
  KandaharNow Weather of Kandahar

 

1979,9,6

 ベッドから跳ね起きると、荷物を急いでまとめ早朝の冷気がみなぎっているペイブメントを駆け抜けた。街路樹に下がった裸電球が黄色く燃えているだけで、街は、薄闇と深緑色とが渾然と溶け合い、嗜眠病患者のごとく夢の中に沈んでいた。
 バスターミナルは、バスの出発を待つ乗客や、彼らを見送る家族や、身内の者たちで雑然とし、荷物を引きずる音、クラクション、叫び声や、話し声が辺りの静寂を破っていた。警察は俺のバックパックの中身を開き、簡単にチェックを終えると
後ろに並んでいた現地人の荷物を今度は、厳重に調べ始めた。武器や、食料がゲリラ側に渡らないように、所持品を一つずつ開けさせて、注意深く、時間をかけて徹底的にチェックした。調べられている男は、小言で文句をブツブと言いながらも、しぶしぶ命令に従うしかなかった。
 前列から三番目の左側の席に座った。バスの周りでは、荷物を担いだ人たちが気ぜわしげに歩き周り、ごった返していた。別れの挨拶、口論、喧嘩、大声、物を売る掛声、これらが喧騒たる渦を作っていた。隅の一本の老木の小枝を透かして朝が明けようとしていた。周りの空気の色合いが濃い紫色から青紫へ移ろいでいく。昼には蒼天にかかった太陽がバスめがけて灼熱の光線を無数に投げつけるだろう。
 車内に視線を戻すと、目の前に髭づらの大男が体を撓ませ、乗客に座席の案内をしていた。咄嗟に顔を反射的に背け下を向いた。バカげたことだ。こっそり覗いてみたが、黒い口髭に覆われた顔に間違いなかった。奴は昨日切符を買いに行ったバス会社の者の一人だった。奴等の卑劣なやり方に憤って、昨夜はろくに寝られなかった。その張本人にまた出くわすとは!ハッシュ!ハッシュ!

 それは、昨日、二度目に奴等の事務所を通りがかったときのことだ。巨漢がこちらに手招きし、もう一人の、前にチケット代をフッかけてきた青目の奴が小皿を差し出した。食えと言った。二センチ前後の白い楕円形をした菓子が積まれていた。男の表情を見て、別段悪意の様なものも感じられなかった。前にでたらめなバス代を言ったことを悔いて、機嫌でも取ろうとしているのか、そう思って、一つ口に入れた。飴に似て甘かった。食べ終わって事務所を出ようと、ガラスの扉に手を掛けた時だ。
 「金を払え、5アフガニだ!」
 野太い声が背後からした。なんのことかと一瞬いぶかしんだが、無視して外に出ようとすると、前を遮るように、二メートルあろうかと思われる、がっちりした体躯が前に立ちはだかった。「金を払え、食った菓子代だ!」 と怒鳴った。悪い冗談と思っていたが、眉の辺りがかき曇リ、狡猾そうな表情がのぞいた。言いがかりをつけてきたな、だが、相手にせず、無視するのがいちばんよい、そう思い、
「冗談だろ」と答えた。
「いや、本気だ、冗談なんか言ってないぞ、さっさと、五アフガニ払え!」一層威嚇してきた。
「そんなの知らんぞ、一体何が言いたいのだ?おまえに払うような金などない。知らんな」
次第に腹が立ってきて、そう吐き捨てた。
 次第に雰囲気が険悪になってくるのを感じた。無視して、出て行こうとするのだが、分厚い胸板で出来た屈強な体が目の前に立ちはだかり、出るに出られない。二人は俺を取り囲み、恫喝する。
「五アフガニ払わなければ外へ出さんぞ」
 すかさず、小柄な白い方が嬉しそうに叫んだ。
「おまえは日本人なんだから、柔道が出来るだろう、此奴とやってみろよ」
 この一言で事態は最悪のものとなった。面長で、間抜け面した用心棒は、これみよがしに、両手の指の関節をポキポキ鳴らせると、拳をつくった太い両腕を差し出し、さあかかってこいと闘志満々の構えだ。ハッシュ!ハッシュ!
 高校時代の履修科目の柔道では投げられてばかりで、からっきしだらしなかった。このやる気満々の筋肉の塊には、文字通り赤子の手をひねるようなものだろう。頭に来ているが、喧嘩をしたくとも、無理だ。下手をすれば、負けるというよりもこちらの命があるか分かったものでない。殺されるかも知れない。すっかり怖じ気づいてしまった。
 前を通ったアフガン人を碧眼の相棒が引き止め何か話した。すると、飴一つをしゃぶると、金を払った。何ということだ。なぜ現地の者が飴一つに、五アフガニも払うのだ。信じられない。何が何だか分からなくなってきた。そこへ混乱している俺にこう畳みかけてきた。
「ほら、見ただろう。菓子代を五アフガニ払っただろう。も前も金を払え!」そう怒鳴り、執拗に威嚇し、追いつめる。
 考えられない。白昼夢でも見ているのか。そんなバカな。芝居だろ。そう、奴等が、通行人まで抱き込んで、一芝居打ったとしか考えられない。後で、その通行人は戻ってきて、払った金を返してもらうに違いない。クソ!ハッタリだ。手の込んだペテンだ。その巧妙さ、陰険さにあきれ、同時に怒りがまたもや込み上げてきた。
「払わないなら警察を呼ぶぞ」
 どちらが言うセリフだ。この悪党野郎め、こちらこそ、警察を呼びたい。おまえ達こそ、来られたら困るだろうが。絶対に、金を払わんぞ。金が惜しいからじゃない。貴様らのやり方が汚すぎるぞ。もしここで弱さを見せたなら最後、ハイエナどもは骨までしゃぶり尽くすに違いない。今ここで唯々諾々と降参してしまっては、後々の日本のバカボンも、同じようにナメられ、カモにされる。どうしてもここは言いなりになってはいけない。踏ん張らなくてはならない。
 恐怖と、憤怒で血液が逆流しそうだ。だが、目の前に戦闘態勢のできた巨人がいるため、ここは抑えて、なおも知らぬ存ぜぬの一点張りのポーズで押し通そう。怖じ気づいているのが分かれば、こちらの負けだから。
「知らんぞ、冗談はよしてくれ。ふざけるな。」自分でも驚くほど大きな声が出た。口がカラカラになってきた。唾を出して渇いた口を潤そうとしたが、唾液すらでなかった。
 しばらくポーカーフェイスを装い続けた。無論、その間ずっと逃げるチャンスを伺っていた。
 と、仁王立ちになっていた巨漢の上体が入り口から僅かに離れた。その隙(すき)を見逃さなかった。
巨体を押しのけるようにして、勢い良く、外に飛び出した。出た途端、動悸が激しくなっているのが分かった。時々追いかけて来ないか後ろを振り向きながら、宿へ逃げ帰った。
 
その夜は不甲斐なさと悔しさで一杯だった。就眠儀式を終え、不気味なほどに静まり返ったヘラートの全天に向け罵詈雑言をアメアラレとブチまけたかった。ベッドの上で、輾転としながら、浅い眠りについた。

 バスの天井に頭がつかえるので中腰になっていた用心棒は、最初ほかの乗客の誘導の仕事にかかずらっていたため、俺のことに気づかなかったが、こちらが顔を上げ憤りの眼差しでじっと見つめていると、はっと気づいて、ばつの悪そうな視線をチラッと返したが、それ以上何もせず、再び仕事を続けた。もうこちらには来ようとしなかった。奴は乗客を乗せ終わると、さっさとバスから降りて出ていった。

 よりによって、奴等ゴロツキどもがやっているバスに乗り込むとは!やりきれない。よくよく運が悪いのだろう。だが、恨み辛みのヘラートよ、これでおさらばだ。夕刻には、カンダハールに着いているだろう。乗客をぎっしり詰め込むと、バスは砂塵を濛々とあげて出発した。


 硝煙





 何か断続的な音が心地よい眠りから覚ました。昨夜、なかなか眠れず、ようやく眠ったかと思うと六時前にホテルの親爺によって起こされたので、寝不足がたたって、いつしか、バスの中で現実と非現実の境を気持ち良く彷徨っていたのだ。ポンポン。
 寝ぼけ眼に驚くべき光景が浮かんだ。
前の席のアフガン人がいない。いや、頭と腰を下げて、体を無理やり折り曲げ、床に伏せている。運転手も少年の車掌も両手で頭を押さえ体を伏せている。隣の男はと見ると、中央の通路にからだをちぢめ、両手で頭を抱えじっとしている。ほかの連中も皆頭を床に付け、体を下に押し込めた格好をしている。車内は以前の話し声が聞こえず、音一つしない。が、何か凄い緊張感がみなぎっている。
 えっ、どうした?
 息が詰まりそうな静寂を破って、ポンポンと音が爆ぜる。皆どうしたんだ?分からない。しかし本能的に、危険を察して、皆と一緒の真似をしようと試みた。悪い予感が走った。
 銃撃戦だ。気づくと、必死になって上半身を座席と前席の背凭れの間に入れようとする。だが、隣の乗客のからだが邪魔になって、尻の部分が余って隠れない。体をがむしゃらに突っ込み、焦っている間も、銃声は前よりも大きく響いた。
 政府軍とおぼしい軍服を着た者がバスに走ってきた。声をかけられた車掌が運転席の傍らのタンクから水筒を取出し与えた。息せききりながら兵士は口に水を注ぎ込んだ。背をこちらに向けた時、肩に自動小銃が揺れ、長い銃身から鈍い光沢が煌めいた。片手で口の周りにこぼれた水をサッとぬぐうと、バスから降り前線に向かった。
 銃声の数からすると攻撃してきたゲリラ側の人数はそんなに多くなさそうだ。いつしか車内に張りつめていた緊張は緩んできた。上半身を挙げる者や話をする者が出てきた。いつまでも座席の隙間で体を丸め、怯えている俺を見て、天然パーマの車掌は目で笑った。もうこんなことには慣れっこになっているのか、乗客の顔にも余裕と落ち着きが戻ってきていた。しかし、まだ間隙的に銃声が外の空気を震わせていた。政府軍兵士の追撃の銃声だろう。少しずつ自分にも考える冷静さと余裕が戻ってきた。
 ゲリラ達はうまくバスを狙ったものだ。バスが襲われた場所は、こちら側から進む者にとってちょうど両側の視界が見えず、死角になっていたからだ。一直線の舗装道路を挟んで両側には急峻な丘陵が迫っていた。高原は青黒い奇巌や黄ばんだ喬木が所々点在して、反政府ゲリラ達に格好の攻撃場所と隠れ家になる。これがもし平坦な砂漠ならば、遮る物もなく丸裸で、動きが一目で察知されるからゲリラ戦は不可能だが。人を寄せ付けない険しい山や高原があるアフガニスタンならば、ゲリラ戦にもってこいの場所だ。
 時計を見ると、バスが七時過ぎにヘラートを出て約一時間経った頃に、ゲリラの襲撃を受けた。そして、前進することも、後進することも出来ず、膠着状態の中にあった。
 巨大なガソリントレーラーがバックしてきて車体を横付けした。運転手は降りると車体を何か調べていた。よく見ると、フロントガラスは二、三発の銃弾を受け放射線状に罅が入っていた。もし、ガソリンが貯蔵されていて、タンク本体に弾が当たっていたらと思うとぞっとした。ゲリラ達の攻撃目的は政府側の燃料補給路の切断にあった。
 突然バスの車体を振動させる轟音が轟いた。頭上をジェット機が四、五回低空飛行した。ソ連製のミグ戦闘機が威嚇飛行したのだろう。車内は再び緊張感に包まれた。乗客も戦闘機の登場で興奮しているようだった。
 しかし、バスは前へ出ることなく、止まったままだ。いつ出発できるか分からない。既にかれこれ四、五〇分は経っている。これ以上バスが遅れると、カンダハールに着いた頃は、日がとっぷり暮れ、暗くて、宿を探すのが難しくなる。運転手はどうするつもりだ?あきらめて、ヘラートに戻るのか?ヘラートは懲り懲りだ。あれこれ考えると、一層苛立ってきた。
 鋭い音とともに、車体が揺れた。バスに一発当たったのか?流れ弾だ。その一発が戦闘の終わりと、同時に悲劇の幕開けを知らせた。
 こちらが再出発する一〇分程前のことだった。しかも数秒の、あっという間の出来事だった。
 一台のカミヨンタイプのマイクロバスが猛スピードでギアの音をたてながらバックしてきた。中の様子が変だった。助手席の背凭れに男が凭れていたが、顔をのけ反るようにして頭を後ろに倒して、両手も後ろに不自然な形でだらりと垂らしていたからだ。まるで、人形のようだった。ほかの者の姿は、頭や腕や背中が部分的に見えるだけだった。彼一人が体を隠さず、じっとしていて動かないようだった。おかしい。
 バックしてきたバスの正面が見えた。フロントガラスは粉微塵に砕けていた。銃撃によりまさに蜂の巣だ。十発以上の弾が当たっているようだった。伸び切った両腕を後ろに置いていた者は身じろぎひとつせず動かなかった。死んだままだった。彼以外にもシートの影に犠牲者がいたかも知れないが、じっくりと観察する時間がなかった。車はすぐに後ろに消えた。バカボン達が乗ったフリークバスがゲリラのターゲットになったのだ。間違いない。
 ゲリラの攻撃目標は自分と同じようなバカボンだった。もし、ヘラートであのバスを見つけていたら、先のことも考えずに、嬉々として乗り込んでいたかも知れない。彼らの無謀さ、無知が招いた悲劇だとは言わすまい。自分も彼ら同様、無鉄砲なことに、何も考えずにカンダハールへ向かっていたのだ。
 現政権を援助するソ連軍に対するゲリラの怒りは頂点にまで達し、それは白人旅行者に対する無差別攻撃という形で現れていることを後日カブールに着いてから知った。ソ連軍に痛めつけられているゲリラ達は白人は全員敵のソ連軍だと決めつけてしまい、無辜の旅行者まで巻き添えにしている。カブールに滞在中もドイツのバカボンが一人彼らの犠牲になってしまったと聞いた。そして、今までに殺害された白人の数は五、六名に達したということだった。
 多分、ヨーロッパから始めて陸路でトルコ、イランを経て、ここアフガンを越えて、さらにインドそして、ネパールまで行くのだろう、ヒッピーが盛んだった頃の名残が残った、民間のマイクロバスをどうしてソ連軍と間違えよう。Tシャツとジーンズを着たバカボンがどうしてソ連兵なのか。これでは欧米から来たバカボンは死にに来たようなものだ。トリップを求めてバッドトリップだ。シャレにもならない。これほどひどい状況なら、もう誰もアフガンには来ないだろう。ハッシュ!ハッシュ!


 オアシスの

      悪水の中で
  ペストの狂風の中で
     テントは燃えていたおまえは
      暗黒の星の化石
を捨て俺は拾う     一つずつ
   太陽の黒衣の
         豪奢な快楽のため
 刑罰に耐え
 火の鞭に耐え
 一閃の夢が走った
おまえの薫製は
 街に溢れていた 


光輝く目路の限りヒンドゥクシー山脈の蜃気楼
  つかまえるだろう
   俺は
 先史時代の数々の追われた
天使を
 つかまえるだろう
   俺は 
   二つのパスポートを持つバカボン
  一方に無垢を
  片方に石を
          未結晶の
             頭の
               砂粒
羊歯植物の穏やかな眠り
   骨
      と
         骨
            が
              ぶつかりあい
               黄塵が舞い上がる中で
鉛の弾とガラス片の悪夢から目覚めよ