アフガン・フリーク イントロダクション(背景・年表)

当時のアフガニスタンを知れば・・・
参考にしてください>無理に読む必要はありません

目次


◎長文、未完ですが、別にこわいジジイでありましぇん〜(^o^) 
コメント、トラックバックしてくださいな


☆地図
http://www.lib.utexas.edu/maps/afghanistan.html#afcity.html
Perry-Castaneda LibraryMap Collectionより

http://www.lonelyplanet.com/mapshells/middle_east/afghanistan/afghanistan.htm

☆時代背景

ソビエト連邦アフガニスタン侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%88%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E4%BE%B5%E6%94%BB

http://www.docoja.com/dico/afgtxtg.html

☆時代(年表)
データベース20世紀年表 Ver10.7 (2003/6/05)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/chronology/
データベース「世界と日本」
東京大学東洋文化研究所
田中明彦研究室
より

条件:アフガニスタン AND19790101から19791231まで
全 185176 件中 63 件ヒットしました。

1979/02/13
ハマデイ・イラク外相、アフガニスタン訪問。

1979/02/14
アフガニスタンの反政府ゲリラ、ダブス駐アフガニスタン米大使を誘拐。政府軍と銃撃戦。ダブス大使死亡。米、ソ連人顧問が政府軍のゲリラ攻撃を指揮とソ連に抗議。

1979/02/14
在インド米大使館、アドルフ・ダブス駐アフガニスタン米大使がカブールでシーア派イスラム教徒に殺害されたと発表。

1979/02/22
カーター米大統領、対アフガニスタン援助の大幅削減を命令。

1979/03/19
プラウダ』、イラン・パキスタン・中国はアフガニスタンの内政に干渉と非難。

1979/03/23
アメリカ、アフガニスタンへのソ連武器空輸を非難。外部からの干渉は緊張を激化とソ連に警告。

1979/03/27
アフガニスタンで革命評議会、アミン副首相を新首相に要請。タラキ革命評議会議長に留任。

1979/04/01
アミン・アフガニスタン新首相、新内閣を発表。

1979/04/01
タラキ・アフガニスタン革命評議会議長、首相を辞任。アミン副首相、首相に就任。

1979/04/05
エピシェフ・ソ連国防次官、アフガニスタン訪問(−12)。

1979/04/10
プラウダ』、パキスタンアフガニスタン反政府ゲリラに基地を提供と非難。

1979/06/06
パキスタンアフガニスタン、相互に武力侵入を非難。

1979/06/12
イラン・ホメイニ師、ビノグラードフ駐イラン・ソ連大使と会談(コム)。ソ連アフガニスタン圧政支援を非難。

1979/06/18
パルス通信、イスラム教徒ゲリラと政府軍の戦闘がアフガニスタン全土に波及。

1979/06/23
アフガニスタンでタラキ政権反対デモで50人死亡。

1979/06/26
第33回COMECON(経済相互援助会議)総会開催(−28 モスクワ)。10ヵ国参加。アフガニスタンなど10ヵ国がオブザーバー参加。カンボジア北朝鮮欠席。コスイギン・ソ連首相、エネルギー長期安定供給の意向を表明。

1979/07/01
ドスト・アフガニスタン外務次官、パキスタン訪問(−3)。緊張する両国関係の正常化で協議。

1979/07/02
ドスト・アフガニスタン外務次官、ジアウル・ハク・パキスタン大統領にタラキ革命評議会議長親書を手交。

1979/07/04
情報筋、アフガニスタンの反政府ゲリラが軍事戦略拠点ゴマル要塞を制圧と言明。

1979/07/28
アフガニスタンのカブール放送、タラキ大統領が内閣改造を実施と報道。

1979/08/05
アフガニスタンの反政府ゲリラ、イスラム民族革命会議樹立を宣言(ペシャワル)。

1979/08/05
イスラマバードの外交筋、アフガニスタンの首都カブールで大規模な銃撃戦が展開されたと明らかに。

1979/08/07
シャー・ワリ副首相団長のアフガニスタン政府代表団訪ソ。

1979/08/07
ワリ・アフガニスタン外相、ブルガリア訪問(−10)。

1979/08/15
アフガニスタンイスラム教系反政府ゲリラ指導者、「イスラム教民族革命会議」の樹立を宣言。

1979/08/25
アフガニスタンの反政府ゲリラ組織、イスラム教戦線がクナル州都アスマラを占領と発表。

1979/09/01
タラキ・アフガニスタン革命評議会議長、ソ連キューバ歴訪(−10)。

1979/09/14
アフガニスタンでタラキ革命評議会議長、官邸で銃撃される。

1979/09/14
カブール放送、アミン・アフガニスタン首相がワタンジャル内相とマズドリャール国境問題相の2人を解任と報道。

1979/09/16
アフガニスタンで政変。カブール放送、タラキ・アフガニスタン革命評議会議長辞任、アミン首相が議長を兼任と報道。

1979/09/19
アメリカ、アフガニスタン国境でソ連軍活発化と発表。内政不干渉反対とソ連に警告。

1979/09/23
アミン・アフガニスタン新革命評議会議長、初会見。タラキ前議長は病気と発表。

1979/10/09
カブール放送、タラキ・アフガニスタン前革命評議会議長が病死したと報道。

1979/10/10
アフガニスタン放送、アミン新政権が憲法起草委員会を設置と報道。

1979/11/08
ソ連、駐アフガニスタン大使にフィクリャト・タベーエフ・タタール自治共和国共産党第1書記を任命。

1979/12/06
アフガニスタンの首都カブール情報、アフガニスタン駐留のソ連軍が反アミン分子掃討に当たっていると報道。

1979/12/06
ソ連アフガニスタン首脳、両国間の友好善隣協力条約調印1周年で祝電交換。

1979/12/06
パキスタンPPI通信、アフガニスタンへのソ連軍の増派がおこなわれていると報道。

1979/12/10
ジア・ナセリ・アフガニスタンイスラム教民族革命評議会議長、これまでにソ連軍事顧問ら500人以上を殺害と発表。

1979/12/18
国務省ソ連アフガニスタンに軍事力増強のため1,000人以上の兵力を派遣したもようと発表。

1979/12/25
ソ連アフガニスタンへ部隊・装備の空輸を急増。

1979/12/26
国務省ソ連が25,26日カブール空港に約150機の輸送機で兵員・軍事物資を空輸、ソ連主権国家に軍事介入と非難の声明と発表。

1979/12/27
アフガニスタンでクーデター。アミン革命評議会議長処刑。カルマル副議長、議長・首相に就任。ソ連軍介入。カブール放送、アミン前アフガニスタン大統領が処刑されたと報道。

1979/12/27
ソ連、空陸からアフガニスタンに大規模侵攻を開始。

1979/12/28
アフガニスタンのカルマル新政権、アミン前革命評議会議長ら一族3人を処刑と発表。

1979/12/28
カーター米大統領アフガニスタンのクーデター(12.27)へのソ連の関与を非難・同盟諸国と早急に協議との意向をテレビ演説で表明。ブレジネフ・ソ連共産党書記長にホットラインを通じてソ連軍のアフガニスタン撤退を要求。

1979/12/28
ソ連アフガニスタン当局の要請を受けて軍隊を派遣と説明したとインド政府が発表。

1979/12/28
ソ連、日本に対しアフガニスタン問題に関する口頭声明。

1979/12/28
ブレジネフ・ソ連最高会議幹部会議長、カルマル・アフガニスタン革命評議会議長に祝電。

1979/12/29
『人民日報』、アフガニスタン政変に関する論評を掲載、ソ連を非難。

1979/12/29
イラン外務省、ソ連アフガニスタン軍事介入に抗議。

1979/12/29
クリストファー米国務副長官(大統領特使)訪欧(−1980.1.2)。アフガニスタン情勢を協議。

1979/12/29
ソ連の日本に対するアフガニスタン問題に関する口頭声明に対する日本政府の口頭声明。

1979/12/29
パキスタン・印・イラン・ルーマニアソ連アフガニスタン軍事介入を非難。

1979/12/29
ブレジネフ・ソ連共産党書記長、ホットラインを通じてカーター米大統領アフガニスタン介入の正当性を主張・撤兵を拒否。

1979/12/29
大来佐武郎外相、ソ連アフガニスタン軍事介入即時停止を要望と談話を発表。

1979/12/30
トン・ドク・タン・ベトナム大統領、カルマル・アフガニスタン新首相に祝電を送る。

1979/12/30
ブレジンスキー米大統領補佐官、ソ連アフガニスタン介入でパキスタンに脅威が及べば1959年合意に基づき安全保障義務を厳守と声明。

1979/12/30
中国、ソ連アフガニスタンを侵略と抗議。

1979/12/31
プラウダ』、ソ連アフガニスタン軍事介入は友好善隣条約に基づく要請によるものと論評。

1979/12/31
インドの首都ニューデリーソ連大使館前でアフガニスタン・イラン人ら約230人がソ連軍のアフガニスタン介入に抗議してデモ。

1979/12/31
カーター米大統領アフガニスタンへのソ連軍事進出に関し、対ソ観が急激に悪化したことを示唆。

1979/12/31
カーター米大統領ソ連軍のアフガニスタン介入でブレジネフ・ソ連共産党書記長の返書を「偽り」と非難。対抗措置をとると表明。

検索結果表示終了(計 63 件)

☆その他サイト
http://afghanistannews.net/
http://www.afghan-web.com/
http://www.afghanistans.com/