<白土三平論>四方田犬彦>犬も喰わんで

御所

2004,2,27作品社
 小学生か、中学生のころよく漫画の少年誌を立ち読みしていた。<少年>だか、<少年マガジン>だか<ガロ>だか記憶はうすれているが、家から歩いて15分ぐらいの商店街の一角の書店でだった。
 奥に中年の50歳前後の店主と奥さんと従業員がいたようだ。もともと学校の本や教材を販売するのがメインのようだったが、参考書のほかに文庫本、そして漫画が置いてあり、中央の本棚(どんな立派な本があったのだろう全く記憶していない)の両側の通路はなぜか平積みにした本で人の行き来を妨げるほどだった。
 奥に店主が座って勘定をしたり、荷を解いたり、時々掃き(ハタキ)でパタパタほこりをはたいていた。店頭の漫画や雑誌があるほうで、当時人気のあった<サスケ>や<ワタリ>や<カムイ伝>の忍者の躍動感あふれる画面に魅せられ、時空を超え、まるで漫画の登場人物になりきったような幸福感に浸っていった。
 すると突然、傍で耳障りなパタパタという騒音するではないか。そっと視線を横に向けると、そこには真横の雑誌にハタキを乱暴そうに振り回し、威嚇するような険しい目つきでこちらをにらめつけている店主の顔があった。少年はもう少し立ち読みをしたいのだが、已む無く退場しなければならなかった。たまには怖いオジサンが外に出ていて、鷹揚な奥さんが店にいる時は、チャンス到来とばかりにずっと漫画の世界に没入することが出来た。
 ハタキを武器に立ち読みの小僧を退散させるオヤジ。しかし懲りずにまたもや新しい号の雑誌が来ると警戒しながら読みに来る小僧。
 このような鼬ごっこが何年か続いたある日、とうとう、立ち読み(タダ読み)少年に死刑宣告が言い渡された。ハタキを振るわせながら憎憎しげに「もう来るな!」と怒鳴った。まさに天国から地獄に突き落とされたようなものだった。抗いようもなく口をパクパクさせながら、一目散で逃げ出した。漫画の本を買ってもらえない自分に対する不甲斐なさ、情けない気持ちと本屋に対する逆恨みにも近い憤懣やるかたない思いが渦巻いていた。もう好きな漫画が見られないのかという落胆と、その裏返しで、「つぶれろ!」と捨て台詞を吐きたいほどの怒りで頭の中は混乱していた。その日以降店にはいけなかった(勇気がなかった)、行かなかった(意地でも行くものか)。何年かして本屋さんは潰れていた。>今の心境複雑。

 すんません懺悔録
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閑話休題

 気になる白土三平論ということですごく期待*1していたのだが、読んでみて、ものの見事空振り。
 論者四方田は最初の白土三平のイントロにあたる、その父唐木や少年期・苦境時代の貸本漫画の三平について物語った後、本題である作品論となると単なるストーリーの紹介に終始して、具体的な論理展開は一向に始まらない。ところどころ、愛嬌のように懐かしや!バフーチンやレヴィ・ストロースの言葉を散りばめ、最後に340ページ余りの本書の結論としてたった10ページで、次のように評する。

白土の忍者漫画を他の作家のそれから決定的に峻別しているものがあるとすれば、それは忍者を単に人間界における権力闘いの中での暗殺者の位置に置くことに満足せずに、さらに認識を拡げて、自然と人間との間を取り結ぶトリックスター的媒介者と規定したところにある。

オイ、オイ、あんた山口昌男ですか?
大学の先生だって、論理展開できなくてもいいですよ、だけどせめて、自分の言葉でその情熱を語ってほしかった・・・・こちらのボケですわ。トホホ。
漫画や、映画のストーリーを語れば語るほど、核心からずれてゆくのは自明ではなかったのか?
それも熱く語るならとにかく、ほとんど要約にちかいものでは、情けない。>金返せ!>ぼく助かったこれ借り物!>本のカバーもつまらんので書影とりません

ここの白土三平ファンサイトも四方田の白土三平論を批判していた

http://homepage1.nifty.com/kumori-hibi/sirato01/sirato01.html

*1:以前、北アフリカタンジールを舞台にしたボウルズやバロウズ等の異色の評伝<地の果ての夢タンジール>(1994,5,20初 河出書房) 著ミシェル・グリーンの監修訳をしていたのが四方田だったので、なおさら期待したのだが