写真家Brassaiブラッサイ<30年代の秘密のパリ>

1976,ランダムハウスパンテオンブックスの英訳(原版ガリマール社仏)

 いつ手に入れたのか定かでないが80年代初期のころ、あの名著幻の(^^?) <幻覚芸術> (晶文社1970)を著した蟻二郎 さんから頂いたものかもしれない
悪いけど、ほとんど見てなかった。
 たまたま、この間手にとっておやっと思ったのが、最後の方にアヘン窟でアヘン吸引をしている数枚の写真があったから。それから、最初のページにもどって見て行くと大道芸、見世物、乞食、公衆便所、ナイトクラブ、売春婦、モンパルナスのキキ、フォーリー・ベルジュ、ギャング、同性愛クラブ 等いかがわしいもう一つのパリの夜(悪所)を映し、物語っていた。
 それぞれ興味深いのだが、カメラが人でなく、尖端がイスラムのモスクめいた建物のようなものを映しいているのが気になった。
 はてな?なんだろう?下の方に同周円上の囲いがあり、地上から浮き上がっていてちょうどスカートをはいたようなへんてこなもの。文章を読んでいる内に分かった。そうそう、パリで時々見かけ、実際重宝なのがこの公衆トイレ。>確かタダだったと思う。地下の公衆トイレはご婦人が番をしていて有料なんで・・(^.^;
 数日前id:hugo-sbさんの楽しいブックマーク見ていると(http://1470.net/mm/mylist.html/201)、えんばと、トイレに関するURL(http://www.plumbingworld.com/toilethistoryindia.html)があったので読んでいたら、19世紀後半ナポレオン3世治下のオスマン伯爵がパリ改造で地上建物だけでなく地下の下水道も整備したよう。
 オスマンについては↓
http://www.parisrama.com/thematiques/pages_histoire/haussmann.htm
http://gallery.sjsu.edu/paris/architecture/Haussman.html

 そういえば、パリのアーバニズム(都市化)につき、オスマンについても触れていたのがW・ベンヤミン。散策者・フラヌールとしてのボードレール、或いはパリにつき思索し、夢想していた。
 パリのこの公衆トイレやっぱ、<オブジェ>として奇異ではある。今もありますか?最近行ってないんで(いきてーよ!)


PS
肝心のBRASSAIの写真いくらか見られる↓
http://monsieurphoto.free.fr/index.php?menu=1&ss_menu=1&Id=26