ヘルツォークの謎
19世紀前半何者かによって長年に亘り監禁されていた野生児が解放された後の物語。
それをカスパーのほうに寄り添いながら物語る。
カスパー・ハウザーの謎 (1974/独)
The Mystery of Kaspar Hauser
Jeder fu"r sich und Gott gegen alle
[Drama]
製作 ヴェルナー・ヘルツォーク
監督 ヴェルナー・ヘルツォーク
脚本 ヴェルナー・ヘルツォーク
撮影 イェルク・シュミット・ライトヴァイン / クラウス・ウィボニー
出演 ブルーノ・S / ワルター・ラーデンガスト / キッドラット・タヒミックhttp://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=7999映画批評空間より
最初にモーツアルトの曲が流れ、緩やかな、夢幻的な風景シーンがイイし、最後でアフリカか中近東のキャラバン隊がスローモーションで引き返すシーン、これをフィルムで映写しているように主人公が夢の形で回想するのもまたイイ。
ところで、ヘルツォークはなにを意図したのだろうか?
たぶん、種村が夙に論じていたのだろうが、この監督ってなかなか評しにくいような気がする。だから面白いんだけど。
警察で保護されていた後サーカスに出されるが、他のfreaksとどこが違うのだろうか?肉体は大人で、言葉を知らないと言う意味での物珍しさ、珍奇から?
大人の肉体で知性は言語取得によりこれから発達して行く幼児、このアンバランスなのか?
確かに、幼児からの大人社会への批判という面もあるが(<侏儒の饗宴>(小人の饗宴(1971/独))の場合のように、肉体の(障害)異端からの反乱というシンプルな視点)、単なる喜劇仕立てに堕せず(しばしば笑うが)、ある種正攻法的なアプローチ。
監禁した犯人捜しや、犯人の偏執狂的な暗部に焦点を当てるという意識のドラマやミステリー仕掛けでもない、言葉というものが社会的のものであるように(マルクス)、社会的な視点が光る、ヘルツォークならではの作品としかいいようがない。
あ、これ昨日レンタルして(実は2週間ほど前借りてまだ見ないうちに子供が間違えて返してしまった)、今日夕方見たの。