<民族の祭典>ヌーディズムとナチズム
ちょっと前に<民族の祭典>レニ・リーフェンシュタールみたけど、最初の方の競技選手の肉体を撮るカメラの執拗さ、その視線には熱がこもっていた、と言うより何か異様な雰囲気。もう少しでゲイ映画かと呟きたくなった>汗>ジャン・ジュネやK・アンガー
にも一脈通じる。
執拗にとらえている鍛えられた肉体の動きを見れば見るほど肉体を超え、美しさを超え、妙に艶めかしくエロティックなイメージを喚起させる。
民族の祭典 (1938/独)
Olympia Part One: Festival of the Nations
Olympia 1. Teil - Fest der Volker
[Documentary]
製作 レニ・リーフェンシュタール
監督 レニ・リーフェンシュタール
脚本 レニ・リーフェンシュタール
撮影 ウィディ・ジールケ
音楽 ヘルベルト・ビント (映画批評空間より)
ところで、gotanda6さんがワンダーフォーゲル運動とナチズムを調べていたようだけど(ぼくは昨夜悪のりして、ぼんさんのお経<松岡正剛の千夜千冊>相当チャカしていたが)、
秋田昌美は<モダニズムと裸体郷>(<乱歩の時代>に掲載、既出、以下写真も)で、19世紀末から興りだし、第一次世界大戦後の独で急速に普及したヌーディズムの概要を次のように説明して、示唆に富む。
この運動は元々産業革命後の近代都市文化に対抗し大自然の中で、健康と美に奉仕する裸体生活を満喫しようとする理想主義者のカルトだった
そして、当時の産業革命後の都市集中化・環境悪化に対して自然治癒医学運動らの影響もあり、「ヌーディストの父」ハインリッヒ・プードル、組織者のリチャード・ウンゲウィッターらによって、今日の社会は人間を不健康にしているから目標とする全裸ユートピアにおいては禁酒・禁煙が厳守されると主張。
一方、ワンダーフォーゲル運動も産業社会に対抗するヘルマン・ホフマンによって創設された自然回帰運動の一つで、自然を再発見しようというライフスタイルを志向した。
しかし、これらヌーディズムもワンダーフォーゲル運動もナチによって右翼的社会運動に変貌してしまった。
自然志向の中でヌーディーズムを実践すると言っても、当然人間である以上エロス的なものもあって不思議はない。なのに、そうした本能的・生命的なエロスに対してヌーディストはどう対処したのだろうか?素朴な疑問。
たぶん排除、或いは隠蔽するしかなかった。
このヌーディズム運動の行き着く先の一つが、先に戻るが、<民族の祭典>だったのだろうか、健康と肉体美の賛歌+忘れてはならぬ民族(国民)主義を注入したナチズム・プロパガンダ
健全な、優秀な民族であるナチ・ドイツは、そうした部分を隠蔽していたからこそ、ユダヤ人だけでなく同性愛等を退廃として厳しく取り締まり、弾圧したのだろう。>退廃芸術としてやり玉に挙げられていたジョージ・グロス(ゲオルゲ・グロッス)などの作品を思い浮かべる。
そして、この<民族の祭典>レニ・リーフェンシュタールの体育美(?)のアンバランスなエロティシズム。
ヴィスコンティが<地獄に堕ちた勇者ども>で描いたのナチ内部での退廃にも似たものが、この一見、非エロス的な、肉体の乱舞というイメージが溢れた<民族の祭典>にも見えるのだが・・・彼女は一体何を見ていたのか?ナチの暗部では?もし、そうならこれは単なるナチプロパガンダなのか?
俗説とは反対に、むしろ、彼女の意図を超えて反ナチプロパガンダになったんじゃないのかな。>あー記録映画でしたね!忘れてた!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜蛇足〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ところでB級らしいエロがらみのナチ●×、ゲシュタポ●×なんかもミッチリ勉強しなくちゃ!(笑・汗
秋田昌美て<遊>に書いてたらしいけど、結構イイですよ、(松岡とちがい)