鶴見俊輔の「限界芸術」

最近本を読んでない>1月から(家内が退院してから、その世話、気遣い等に専念しようとして、またボク自身の体調(腎臓結石)も歩調を合わせるかのごとく悪く、それでネットもやる気しなかった、その結果、1、2月そして今月初めまではブログ更新できず)
ただ去年年末に買った古書の数冊はペラペラ、その中で気になるのが鶴見俊輔の本

 確か戦後に「思想の科学」を主宰していた(自分が若い時は全然興味湧かなかったけども)、偉いことやたいしたことでなく、なんでもないこと日常茶飯の事柄について思考していたんだなと今さらながら気づいた。>あー、それとまだまだご健在なんですね、知らなかった、恥
「限界芸術」講談社学術文庫(S51.8.10初)
 美的経験の中のほんの一つとして芸術があり、まず<純粋芸術>と俗悪なものや非芸術的なものを<大衆芸術>として区分し、ついで著者はさらに広範囲な領域<芸術と生活との境界線にあたる作品>群を「限界芸術」として、これを探求している。
 柳田国男の民謡研究、批評家として民芸運動柳宗悦、そして創作者として宮沢賢治の作品を検証して行く。>結果としては未完のようだが、ぼくにとっては、スリリングな視点が充満していた。
この表↓なんか面白そう(1960,7月<講座現代芸術>勁草書房初出、一部今から観れば、さすがに当時の風俗の古さも感じられるが(ほほえましくもある)、境界線てのがあいまいで魅力的。翻って現在ならどうなるのかな?キッチュは大衆芸術のままでイイか?サイケデリックアートは?BLOGは?限界芸術か?聞いてみたい)

限界芸術 大衆芸術 純粋芸術
身体を動かす→みずからの動きを感じる 日常生活の身振り、労働のリズム遊び、拍手、求愛行為 ロカビリー、ツィスト、チャンバラの殺陣 バレー、能、歌舞伎
かなでる、しゃべる→きく 労働の相の手、早口言葉、鼻歌、都々逸、漫才 流行歌、歌声、講談、浪花節、落語、ラジオドラマ 交響曲電子音楽謡曲
えがく→みる 落書き、絵馬、年賀状等 紙芝居、ポスター、錦絵 絵画
書く→読む 手紙、ゴシップ、月並み俳句、書道、七夕 大衆小説、俳句、和歌
演じる→見る、参加する 浄瑠璃、葬式、見合い、会議、家族アルバム、記録映画、双六、福引き、デモ 時代物映画 文楽、人形芝居、前衛映画

ぼくなら、アウトサイダーアートてのが身近に感じる今日この頃。