<どんたく>

その意味は解説によればオランダ語安息日から来ているらしい。
2002.12.25日本図書センター
(初出T2.11月実業之日本社の復刻版)
 さらっと読んだ感じでは子供の頃の(夢二の少年期の)外でのイベント模様。
 例えば、角兵衛獅子、人形遣、飴屋、のぞきからくり、そんな賑やかな子供心を誘うようなお祭りのようなもの、熱中している時は華やかで、一体感があり頬まで上気し、至福の時を迎えるが、それも終わると、その芸人達も散り散りになり、友と別れ暮れなずむ家路を急いでる孤独な自分の影に気づく、そんな情感を表したかったのかなぁ。

越後獅子
角兵衛獅子のかなしさ
親が太鼓うちや子がおどる。
股のしたから峠をみれば
もしや越後の山かとおもひ
泣いてたもれなともどもに。

角兵衛獅子の身のつらさ
輪廻はめぐる小車の
蜻蛉がへりの日もくれて
旅籠(やど)をとろうにも銭はなし
あひの土山あめがふる。

 なんで<かなしさ>から入るのか、うー全然違う詩だって書けるのに・・・
夢二節と言えばそれまでたが・・子供心にも痛々しかったのだろうか?むしろ、大人になってから、それを見るのが辛かった、それを綯い交ぜにして描いているのだろう。
 絵には、そんなに悲しげな表情は見られない(角兵衛獅子役の子供の表情は無論分からないが)、ただ連れてくる大人(太鼓を叩き節を作る)は何とも言えない表情だが・・・

むしろ、僕には次の<人買>や見世物を描いた<どんたく>なんかの方があの過剰な抒情が少なくて<小唄>ぽくてイイなと思えるのだが・・・

<人買>
秋のいり日はあかあかと
蜻蛉がとびゆくかはたれに
塀のかげから青頭巾

「やれ人買ぢや人買ぢや
どこへにげようぞかくれうぞ」
赤い蜻蛉がとびまわる。