紙を棄てた秦豊吉

浅草フランス座の時間>
井上ひさしこまつ座編著2001.1.31文春ネスコ(以下写真同書より)
 本書の中の<帝都座五階劇場の1年9ヶ月>
渡辺昭夫著によれば

敗戦間もない頃1947.1.〜15にかけて<額縁ショウ>が公演された。後のストリップの先駆けとなる。
場所は、新宿の帝都座五階劇場で、<ヴィーナスの誕生>レビューに真似て額縁の中で上半身の裸を見せる。これが、額縁ショウ>中村笑子が一躍人気をさらった。>今のなんでもありから云えばたわいないけど・・・
そのときの仕掛け人が社長の秦豊吉

そもそも、彼は1926年ドイツから帰国し、三菱商事に勤務。丸木砂土ペンネームでエッセー、翻訳などで活躍。
29年レマルク西部戦線異状なし」翻訳、<性科学全集>に関与。
当時の阪急社長、財界人小林一三と出会い東京宝塚劇場に入社し、1934開場。
翌年、日劇ダンシングティーム創設。
「音楽が舞踏と芝居と組み、総合芸術としてのレビュウ」を、目標としていたからだろう

1940東京宝塚劇場3代目社長(3年後<東宝>改称
一方、彼は浅草のストリップ劇場の「ロック」座(初代オーナー草野稲穂と意気投合しの顧問になり1947.8.15興行、同日帝都座五階劇場で<肉体の門>開演。
1948.10.2帝都座劇場閉鎖
公職追放解除になり1950帝劇社長となり帝劇ミュージカルを送り出した
雨後の竹の子のように次々とストリップ劇場が笙生。


浅草でも、浅草座、大都劇場、美人座、フランス座、カジノ座、公園劇場、百万弗劇場等。このブックカバーの方が良かったのに!
 ま、昭和初期のエログロナンセンスの紙のメディアのみならず、戦後ストリップ界やミュージカルの大立役者でもあったということらしい。

 ところでこのストリップ劇場てもう今や、都会で見あたらなくなったよね)泣