サンカ,三角寛

utu2004-12-21

ここ一ヶ月ほどサンカ関係の本なんか読んでいる(写真右の別冊歴史読本畑中純・<まんだら屋の良太>収まっていたので買い)
それというのも閼伽出甕 論考集「新版・山窩」、http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/BIGLOBE/sanka.htm
「新版・山窩」(全160回)
【概略】

 日本には、古来より「山窩(サンカ)」と呼ばれる《山の民》がいたとされている。長期にわたる文献調査の末、その通説を超え、「サンカ」の近代発生を説く。

にスリリングな論考を展開し、それでいていてユーモアのある閼伽出甕さんのサンカ論にハマッていたから。

サンカ?

 一家族をあげ終始漂白的生活を為すものは、今日別に一種族あり。多くの地方にては之をサンカと称する。サンカの後にも亦色々の宛字ありて本義不明なり。すなわち、これをサンカと書するのは彼徒の家が固定せざる為、山家、山稼と書するのは山の陰などに仮の住居を作り盗伐をもって生を営むが為、又山窩の文字を用いるのは岩の窪み土窟の中などに居るが為の宛字らしけれど共にサンカという語の意味を説明するものとは信ぜられず(柳田国男<イタカ及びサンカ>(M44〜45)

 外部よりの呼称としては、少なくとも関西地方においては、サンカの語、最も弘く行われる。或いは之を、オゲと呼ぶ者あり。又、ノアヒとも称す。その生活状態に基づきては、或いは、之を河原乞食と呼ぶ者あり。ポンス、又ポンスケと呼ぶは、此徒が川漁に巧みにして、特に、鼈(スッポン)を取るのに妙を得たる故なり。(同上)

 彼らは、定住して農を業とせず、山裾や河原に小屋をかけ、テントを張って、箕、籠、簓、風車などの竹細工をなし、下駄、或いは棕櫚箒などを作り、河川の魚を漁し、山の自然薯を掘り、猟もし、その手細工品や獲物を近くの村や町に売り捌いで生活している。
(後藤輿善<又鬼と山窩>S15)

以上<サンカ研究>1987,2,20新泉社田中勝也より←借り物

三角寛の<サンカの社会>(S40,11,30朝日新聞社)←借り物

 昭和初年の<説教強盗>の取材記者だった三浦守(M36〜S46年大分生まれ)が、「強盗犯がサンカじゃないか」との風評のもとをただし、大塚巡査部長が口走ったことから起こったことを突き止め、それ以来サンカの実態に関心を抱き研究したもの。その間に三角寛などのペンネームで宮本三郎の挿絵と共に<文藝春秋オール読物号>、<キング>、<富士>などの雑誌にサンカ小説を書き人気を博した。S,7<昭和妖婦伝>(新潮社)S,9<昭和毒婦伝>(春陽堂)、S12 < 山窩血笑記 >(大日本雄弁会講談社)等多数。また<社会の研究>で東洋大学より文学博士の学位を取得。人生座、文芸座の経営もしていた。
 
 ぼくは20代後半、友達がサンカについて話していたのに、ほとんど気にもとめてなかった。たまたまその東京の友達のところに居候していたとき、神田の古本屋で日夏耿之介の<大鴉>(ポーの訳詩 / 画:ギュスターヴ・ドレ[他]. 薔薇十字社, 1972 )とともにタイトルは忘れたが、彼のためにサンカに関する本を買って、そのまま渡したのだった。明治か(そんなに古くはないか)、大正或いは昭和初めの心霊学関係の本にも気になっていたのだがあいにく持ち合わせもなく、やむなく断念したことまで覚えているが、肝心のサンカ本のタイトル、著者名は記憶の外。

 ところで、三角のサンカ学開陳の書<サンカの社会>、まだ半分も読んでないのだが、やはり、第三節サンカ社会の概要、第二節生活編以下どこまで本当(事実)だろうか?と疑問に思うとなかなか読み進められなくなった。
疑問 そもそもサンカなるものは何か?そんなものは存在しないのではないか?
定義 漂流したサンカが一般社会に定着する(トケコミ)状態も含め、すごく流動的で曖昧では?
時間 どこから発生の起源を求めるか 中世、近世、近代?
等、なかんずく、内部組織の隠密族(シノガラ)、誇る民族史、秘密結社、最高権威者の項や炙り出し秘密分布図>これじゃ懐かしの白土三平の忍者(サンカブームの実際影響を受けていたようだ)では?>だからこそぼくも興味が湧いたのだけど(^_^;)
それにしても収録写真・サンカの半裸の女(?)の確かにきれいです>何ォ感心しているのやら

 毀誉褒貶の三角寛のサンカ論については社会学者や民俗学者の研究を待つことにして(決着済みか?)、やはり小説の方がおもしろそうなので、いや妖婦、毒婦なんてタイトルがよさそうです。>図書館で借りて読もう
 早速買ってきた<今、三角寛サンカ小説を読む>(現代書館)の<多摩の英麿>、<東京の山窩狩り>の二編を読んでみた。サンカ内部での義理人情・任侠が後者では鼻につくが(探偵ものともいえそう>他の作品があの<新青年>にも掲載されていたようだ、宜(むべ)なるかな)、当時ブームになった訳が何となくわかりそうだった。自由な漂白の民サンカの行動にあこがれのようなものを抱いたのかも知れない。また逆に犯罪ものの猟奇的な側面に惹き付けられたのかも知れない。そして忘れてならぬのがエロティックな雰囲気。(^_^;)

 ただぼくが思うのは、サンカというのが明治期の警察から犯罪者をさして呼称され、国家にとっては非定住の無戸籍者として差別・統制の対象となってたのが、皮肉にも、<今、三角寛サンカ小説を読む>の読書アンケートにみられるように、S6満州事変に象徴される帝国主義と国家統制の重苦しい時代サンカ小説によって少年達にとってはある種の憧憬、憂さ晴らしの対象となっていたことだろう。

復刻されている↓未読、これからぼちぼち読んでゆきます

山窩が世に出るまで (三角寛サンカ選集)

山窩が世に出るまで (三角寛サンカ選集)