曽我蕭白展京都国立博物館で

utu2005-04-29

2005年4月12日 (火) 〜5月15日 (日)
広大な庭!
http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html(場所、時間、アクセス方法等もわかる)
←カタログ裏

曾我蕭白(1730〜81)は、永らく伊勢の出身と信じられて来ました。同地では確かに今でも蕭白の作品が数多く遺っており、無理もない話なのですが、少くとも父親の時代から京都の住人であったことが、今では確認されています。
 蕭白と同時代に京都で活躍した画家といえば、与謝蕪村池大雅円山応挙長沢芦雪そして伊藤若冲などの名をあげることができます。まことに錚々たる画家たちというほかありません。
 こういった人びとと伍して、蕭白は文字どおり独自の画風を展開してゆきました。室町時代の曾我蛇足を継ぐ者と標榜するのも、アナクロニズムを逆手にとった彼なりの同時代絵画への反抗の姿勢を示しています。こうした彼の姿勢から、当時の京都画壇を席捲していた写生派の円山応挙への対抗意識が生まれて来るのにちがいありません。
 蕭白についての逸話を彩っているのは、ごくわずかな例外を除くと、人を人とも思わない不遜ともいうべき戟しい精神性を表わしたものばかりです。
 なぜ、このような人格が形成されたのか、それをその境遇に求めるのは余りに単純といわれるかもしれませんが、若冲と比較すると判り易いように思います。若冲という人は、錦小路の青物問屋の長男であり、基本的に生涯、生活の心配をしなかったわけで、好きなだけ絵を描きつづけ、絵を売って生活する必要とてありませんでした。
 これに対し蕭白は、上京あたりの商家で江戸にも支店をもっていたと考えられる家に生まれながら、数え十四歳のとき父を、十七歳のときに母を喪い、その前の十一歳のときには兄が江戸で没しています。幼い妹があったようですが、要するに十七歳の蕭白は天涯孤独の身の上になったのです。こうした境遇が彼の精神形成上、何らかの影響を与えたことは確かでしょう。
(同展より)

(写真以下同カタログより)
 きょう予告通り行ってきたよ(http://1470.net/mm/mylist.html/386?date=2005-04-21#m36468 MM - freakfreak!Bookmark)
のっけからすごい迫力で見入っている(逆に画に魅入られているというような感じ)内にあっとういまに1.5時間がすぎて表に出た。
写実風の人物の目(瞳)>ちょっと漫画風
そういや、異様な迫力とはまた違い、軽妙な筆裁きで人物(特に童)を暖かく描いているのもある>戯画風 

 確かに契沖の鶏の画なんかと対比されるんだろうな、しかし訳の分からない化け物(蝦蟇とか)も描かれていて、それがあたかもそこに何か存在するかのような、リアリズムを超えた気(鬼)迫迫るものがある。

大阪とかのかたも(id:chisam,id:hugo-sbさん)是非見て下さい。百聞は一見にしかず!>美術館てほんとぼくにがてだったけど、いいものはいいーす!>これで2005-04-26日記の東京都美術館アール・デコ展に対抗できる!