白首又は<淪落の女>(松崎天民著)

白首は私娼のこと
いつ頃からそう言われているのかな?
 日本国語大辞典には歌舞伎霜夜鐘十字辻筮1880年の用例に出ている。明治初期か。

 というのは<淪落の女>(松崎天民著 大正元年磯部甲陽堂刊)近代庶民生活誌第10巻(1988,7,15三一書房南博編集代表)で復刻されたのをよんでいてひっかかったから。↓
   
<淪落の女>は、朝日新聞記者の著者が東京を離れて10日間地方を巡り、地方の芸妓や私娼について手紙形式等で報告する物語。
そこに白首という言葉が出ていたのでちょっと気になって
WEBで検索すると小林多喜二蟹工船>にもでている
ほかhttp://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/yosiwara-aika.html
浅草の十二階下について

【痩せた娼婦】
そこは、ひさご通り西側の千束町二丁目の一帯。東側は象潟寄りの一小地帯。それから観音堂の裏側という思いのほか広大な地域にまたがって何百という銘酒屋、新聞閲覧所、造花屋などが犇めいていて、そこに十二階下の白首と称せられる私娼が何千人と働いているのだ。その中でも猿之助横丁の側亜は若干高級だということになっていた。

今東光「吉原哀歓」』徳間書店 昭和五十一年初版発行より↑↓
また

十二階下の魔窟は益々繁盛した。そこが有名になったのは松崎天民が「淪落の女」というレポートを書き洛陽の紙価を高からしめたことを挙げなければならないが

今東光が松崎について述べている。
 この<淪落の女>は手紙形式や著者を客観視した3人称描写を混ぜた意欲作となっているのが面白いが、内容については彼女たちに同情し指一本触れずその零落した経緯について物語る形になっていて、具体的なエロ描写を期待すると残念!

 しかし東京に帰ってきた著者の分身が十二階下の魔窟に引き寄せられて終わるラストは

宗教も、教育も、法律も、「性欲浪費者の群れ」に対して、何らの権威も無いものであると断定したとき彼は、これが「現代だな」と思った。自分もまた、その群衆中の一人である

そう再認識し、居直り、十二階下へ向かう。>著者が足下をすくわれて現代・風俗に同化しようとする場面が今なおリアリティを感じさせる。