異能の画家小松崎茂 その人と画業のすべて

子供のおやつ(空箱)

根本圭助
1998,5,26新装発刊
光人社

  異能>という言葉も、一時期が、この小松崎を評するには異端ではないが・・・あれこれ考えると畸に近いのかもしれない等と読後考えた。
 
 小松崎茂(1915、T4南千住生まれ)の弟子になっていた筆者(根本圭助)の師匠へのオマージュであるとともに、茂との筆者根本自身の青春時代へのそれでもある。
S10年小松崎が夭逝した挿絵画家小林秀恒に師事。その頃はほかに岩田専太郎、志村立美らが活躍した挿絵の黄金時代のエピソードなんか、ボクには、面白かった。

 最初から船や飛行機に関心を寄せていた茂が国防雑誌<機械化>等に軍艦や戦闘機を書きなぐった戦時下の活動、そして敗戦後、絵の勉強をやり直すつもりで、田代光の門を叩き、少年冒険などの少年雑誌に作品を掲載。
 その後、地球SOS(冒険活劇文庫)、大平原児(おもしろブック)を掲載し、山川惣治の少年王者等と人気を分かつ。>勿論ぼくも生まれてないんで知らないが、まえに大平原児の写真が載っていたんで福島鉄次の砂漠の魔王とともに、いい感じだと思っていたが、その絵を描いたのがこの小松崎だとは知らなかった。なんという奇遇。
http://www.s-roman.com/(小松崎のHP)より
 絵物語作者として<幼年クラブ>、<ぼくら>、<日の丸>、<幼年ブック>、<漫画王>に『冒険ビーバー』、『少年猿飛佐助』『スピードキング』、『森の英雄』等矢継ぎ早に発表、売れっ子になる。
 その後絵物語ブームが去った後、手塚治虫等が漫画家の道に向かったのに対しSFものや雑誌の口絵、表紙を手がけ、次いでS30年前半プラモデルブームのパッケージ(ボックアート)、東宝地球防衛軍>(特撮円谷)のメカデザイン等の道を歩む。

 ぼく自身中学前後友達の影響もあってドイツ戦車<パンサー>のプラモデルを買って喜んでいたが、なんと、その箱の絵(印刷)がこの小松崎だったのだ。

 そんな私的なことはともかく、戦争末期の東京空襲や戦後のメディアの歴史なんかもフォローされていてベンキョウにもなる。