残酷といえば芳年

例によって大昔七〇年後半か買ったと記憶に残っていた<血と薔薇>収録の(前に言及
の血だらけの錦絵<英名二十八衆句>を思い出した
WEBにありますね↓
http://www.occn.zaq.ne.jp/momokun/yoshitoshi/YOSHITOSHI/taiso.htm

<魁題百撰相>
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/IMG/000/0380/9/
では、



でしょうか

むしろ、残酷物より、幽霊物の方が気に入ってますが
「和漢百物語(わかんひゃくものがたり)]
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/gallery/ukiyoe/ukiyoe_1_19.html
ぼくも、よくは知らないので以下引用

>>
芳年の作品
−その狂気と幻想−
山根康愛

 芳年天保10年(1839)3月17日に生まれた。通称米次郎、父は吉岡金三郎、吉岡兵部、月岡為三郎、吉岡織三郎等の諸説あってさだかではない。出生地にしても江戸新橋丸屋町という説と武州豊島郡大久保という二説がある。又後に月岡を名乗るのは雪鼎の長男である雪斎が祖父にあたるからか、あるいは芳年がそう見せかけるために名乗ったのか確認されていないが、とにかく幕末の動乱を予見させる、"蛮社の獄"の年にこの世に生を受けている。

 12才で国芳の門に入り、15才で処女錦絵「文治元年平家一門海中落入図」を上梓し、芳年の画名と一魁斉の号を許されているが、慶応2年(1866)に出版する同門の芳幾との共作「英名二十八衆句」に至るまでは修練期といえる。

 この血にまみれた14枚ずつ計28枚の「英名二十八衆句」は文字通り兄弟子芳幾との血みどろの競作であり、芳年の本当の意味でのデビューを飾る代表作の一つである。内容はすべて血がしたたる怪奇なもので、「古で屋八郎兵衛」「鬼神於松」「福岡貢」等々。

(省略)