ブラックホーク・ダウン (2001/米)>あぷあぷだうん

Black Hawk Down
[Action/Drama/War]
製作総指揮 ブランコ・ラスティグ / チャド・オーマン / マイク・ステンソン / サイモン・ウエス
製作 ジェリー・ブラッカイマー / リドリー・スコット
監督 リドリー・スコット
脚本 ケン・ノーラン / スティーブン・ザイリアン
原作 マーク・ボウデン
撮影 スラボミール・イジャク
美術 アーサー・マックス
音楽 ハンス・ジマー / リサ・ジェラール
衣装 デビッド・マーフィ / サミー・ハワース・シェルドン
特撮 ティム・バーク / ネイサン・マクギネス / ニール・コルボールド
出演 ジョシュ・ハートネット / ユアン・マクレガー / ジェイソン・アイザックス / トム・サイズモア / ウィリアム・フィクナー / エリック・バナ / サム・シェパード / ユエン・ブレムナー
http://cinema.intercritique.com/comment.cgi?u=1715&mid=9598より

 1993.8. 3,内乱中のソマリア(Mogadishu)で、国連軍の食料援助を妨害するAidid<戦争>政権の幹部メンバーを拉致するため、米軍レンジャー部隊が軍事介入した、その顛末を描いたもの。
 十分な情報分析もやらずに敵地に潜入し幹部をとらえたところまでは良かったが、民兵たちに包囲され脱出することもままならず、市街戦が展開されてゆく。援軍を向かわすも、その地域の民兵、市民に狙撃され敵地奪還はおろか、たどり着いても包囲され、籠の中の鳥も同然。
 だが、最後に米軍は、独断で、単独でやったにもかかわらず、国連軍のパキスタン軍等の助けを借りて生き残りの自軍を救出することが出来た。
 こんなトンマな人質略取、救出作戦、市街戦があるかよー!
それこそチープなB級映画をして、ドタバタ喜劇にするのも良かったかもしれない。
 
 だが、スコット監督は<リアル>な戦争<娯楽>映画をつくった。
そしてぼくは戦争映画の楽しみを存分に味わった。
 
 視るということに関しては、巨大冒険編スペクタルであり、まさに戦闘の迫真性でもってこちらに迫る。機関銃の乱射、対空ロケット砲、手榴弾、血だらけの兵士、指が吹っ飛ぶ、・・・・そして撃てどもやまない執拗な敵の攻撃。撃墜されたブラックホークパイロットの視点から見た、武装し、発砲してくる民兵、群衆。つきることのない薬莢の山。死体の山。
命からがら逃げてきた兵士が、再度の出撃に際して、恐怖のあまり逡巡する表情。
モニター(情報・記号)でしか戦争を見ていない最高司令官の焦り。
また、戦友の絆めいた団結力。>これがプロパガンダか?

ほとんど米軍の側から見た戦い。>だけど戦争てのは、そもそもその時、一方的視点しかないから、戦争になるんではないのか?また、恐怖も一層募るのではないか?
そこで形成されるのは、敵を撃つ=自分が生き延びるという冷徹なルールしかない。
そして大局(全体の意味)を把握できずに指示に従うあやつり人形めいた兵隊の懸命な生き様・敵を殺すということ。

 だけど、この撃ち合いのながれって>マカロニウエスタンとどこが違うネン?
 だけど、銃撃シーンでこれー以上血を流せば、もースプラッターにいっちゃうよ、生理的に反戦厭戦に陥るぞ!
 だけど、バンダナにサングラスの敵の民兵、ラップかダフの音と共振しながらジープの機関銃をこちら・米軍を狙い連射していたシーン>血だらけのシケた米軍よりも俄然カッチョよかったー
 
 まさにその危ういところでかろうじてエンタ(娯楽)になっている、きわどい、力業、いや、多分編集しまくった、計算ずくめの見世物ではあった。

 米軍で実際俳優の何人かが訓練をしてもらっているし、米軍の支援もあっただろうし、そう言う意味で軍に少々エロ色をつけてもいいやんか、ねースコット監督。>ご苦労様でした(ホントに)

 
 ビデオを見終わった後、米軍のプロパガンダ映画(記号)とも言われたが、現実を考えると、ぼくにはどうしても、そのヴェクトルが逆に向いているのではないか、そんな気がした。
http://slate.msn.com/?id=2060941←当時の現実(政治的)についての論評(英文)参考
 何故なら、当初の目的達成は言うもオロか、敵に包囲され捕虜となったも同然の米軍を救出するという、何をやってるんだか分からない無益な労力(失敗)とそのために費やされた敵味方が実際流した血の量を思わざるを得ないから。
 客観的な現実を見れば(結果論に近いものかもしれないが)、この軍事介入(善意の介入も含む)、いや戦争状態というものが、いかに悲惨な・暗澹たるものかということをナイーヴにプロパガンダしたんではないか。
>実際クリントン政権は手の平を返すがごとく軍を即時完全撤退した。(資源もなければ、金にもならない)貧民国にかかずらってられねー!勝手に内戦を続けろ!と言わんばかり。
 
 たとえ最後のクレジットの表示で、<18対1000>の死者数で圧倒的に米軍が<勝利>していても、何ら説得力がない。空しい。最初から負けているのだもの。現実は敗戦であった。
見ようによれば、一時はやった<●×△にみる失敗の研究>でもある。>深読みしすぎか?

 戦争になれば実際傷つくのは、一兵卒であり、戦場と化した街の民衆(この映画では描かれてないが、想像はできよう)。>ちっぽけな、陳腐な感想しかでてこない。>多分それでいいんじゃないだろうか。

 でも翻って見れば、コッポラの超ー駄作<地獄の黙示録>、オリバーストーンの米軍内部での<正義>を問うた失敗作<プラトーン>なんかに較べると、やっと大義や観念(イデオロギー)が吹っ飛んだ後の戦争映画の一つの有り様を示してくれたように思えた。

  P・S 
 この現実に懲りず、アメリカは<テロリストとの戦い>という巨大なプロパガンダ(記号)の銅鑼を叩き、それに踊る阿呆!エラコチャエラコチャ!

9.11の後の戦争映画てのは、湾岸戦争のゲームめいた抽象的な記号の乱舞するものなのか?
 
 それとも、勧善懲悪のプロパガンダ(米資本主義の)を鼓吹するスプラッター物なのか?
エー?情報操作された記号に充ち満ちた米のTV戦場ライヴ・ニュース?

 ユダヤ商人をダブらせる現地の戦争商人がうそぶいた、「俺たちがいなくなっても、アメリカの民主主義なんか糞食らえ。他の者が敵をやっつけるばかりだ」>そんな感じだったと思うが(正確でない)、教訓に全く活かされてねーな>だが、アフガン、イラク等中近東は資源があるんで、とことん武力介入するという資本の論理は首尾一貫し、現実になっている!