<浅草六区はいつもモダンだった>

朝日新聞社
雑喉潤1984.12.25
何度読んでももう一つよく分からないのが関東大震災でオペラブームが終焉してその後昭和初期の六区の芸能の状況(レビュー)
年譜とか大いに助かるのだが、こちらが芝居やレビューに余り感心がないものだから、状況が混沌としていた上にナイ頭の中がよけいに錯綜、混乱する。
画像同書より
外観は意外と<アヴァンガルド>だな

エノケンとカジノ・フォ−リーの動きを昭和初期部分を引くと

S4(1929)
 1月 浅草の電気館でレビュー誕生
 7.10水族館でカジノ・フォ−リー旗揚げ
 10.28第二次カジノ・フォ−リー開業。 エノケン売り出す
 12.12東京朝日新聞夕刊に川端康成が<浅草紅団>連載開始で観客が急増
S5
 8月エノケンカジノ・フォ−リー脱退
 観音劇場で、新カジノ・フォ−リー開始するも、10月解散
 11月玉木座でエノケン、清水金太郎、淡谷のり子等ペプ・ダンサント旗揚げ公演
S6
 12月エノケンペプを脱退し、オペラ館でピエル・ブリヤント結成、公演
S7
 7月エノケン一座松竹専属となり、浅草松竹座に出演、大劇団となる
S8
 3月カジノフォ−リー解散
 4.1常盤座で古川緑波、徳川無声、大辻四郎等<笑いの王国>旗揚げ 

当時「カジノの踊り子は金曜日にズロースを落とす」て噂が流れ、エロ目当てとエノケンのギャグが受けレビューは大当たりしたようだ。