[Cinema」Night of the Living Dead (1968)

id:hugo-sb(http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/)さんのエントリーに触発され、パブリックドメインのでなく、レンタルで見た
Night of the Living Dead (1968)directed by George A. Romero
http://en.wikipedia.org/wiki/Night_of_the_Living_Dead参照画像も

 たしかに名作だった。スプラッターの原型といえようが、70年年代後半なのでパルプ臭さというのはおかしいけど、いい意味でのエクスプロイテーション臭さがあった。>低予算のモノクロだったというだけでなく
最初に思ったのは、死体が蘇生する原因を調査しようと、FBIからNASAの科学者の動員して地球外からのウイルス、放射能汚染等の可能性を示唆、そして防御面で、警察はもとより軍隊の出動にまでいたる、社会パニック、合衆国防衛だな!TV放映シーン。こらエド・ウッドの<プラネットPlan 9 from Outer Space (1959)>(既出)の恐怖版だ。

 TV・ラジオ(メディア)が映すゾンビーを射殺するシーンはまるでシューティングゲームのようだ。そいつは人間ではなくし、既に死んだもので、生きている人間を殺して喰うのだから何かためらうことがあろうか。>でものろまな(動作緩慢な)ゾンビーの背中から撃つのはちょっと可哀相。
ゾンビーも怖いんですけど、エクスプロイテーション(見えないものを見たいという欲望)という点から言えば、やはり一番怖かったのが牧師が演じる不気味さ、抹香臭いというかキリストの善悪二元論に立った狂信的な思いこみ、これがテーマだったのではないのかな、そんなことを思った。

 だってゾンビーに片頬を食いちぎられたのにゾンビーになってない以上、こいつこそゾンビーの元凶だったのではないのかという疑問めいた、後味の悪さが残り、単なる恐怖を煽るだけのB級ホラー以上のものにしている。
 個人の恐怖だけでなく、保守化したメディア、宗教の魔女裁判の社会の暗部をカラーでなくモノクロで摘出してくれたのではないだろうか。
 ラストでゾンビーと間違えられ殺された主人公の黒人が彼らといっしょに映っていたシーン(スティール)は見えるものと見えないものの差が余りにもわずかであり、浸透しあうということである。
 さらに、準主人公の女が失神して演技を何もしなかった、朦朧状態(トランス)がこの作品を異色のものとしているとも言える。
http://www.homepageofthedead.com/参照

蛇足
ないものねだり>音楽が、音響がもう少し工夫されていればなお怖いんですけど
でも、いまからすれば当時のTVは可愛かった、それだけでも一見の価値あり(笑