団団珍聞

M10.3.24、1号>はや!明治10年
野村文夫が主幹
初期執筆者に梅亭金鵞、総生寛、田島任天
後、鵞亭金升、山田美妙、福地桜痴
はじめ週間、後に刊行頻度変更された諷刺雑誌
発行部数M12年15000部、(以下既出日本近代思想体系<言論とメディア>岩波書店より)

演舌(こうじょう)
東西々々。江戸の故風(むかし)は偖置(さてお)いて今新しき於東京絵(おどけゑ)を、入れて摺り出す新聞は、彼(か)の西洋のポンチてふ、洒落(しゃれ)た模(も)やうに見真似(みまね)せし、ものにはあらで我がくにに、滑稽(こつけい)つくす戯言(たはごと)は、かづかづあれど公に、梓(あづさ)に上(のぼ)すことはまづ、忌(い)み憚(はばか)りてむつがゆき、背中へとどかぬ手の如く、自由にならぬは昔の事、今文明の恩沢に、官許(ゆるし)を受けてあからさま、打ち明けて書く新玉の、玉の光は自(おの)ずから、闇の野蛮の肝玉を、磨くためにと手短に、表は早くお理会(わかり)の、川柳気取内緒(せんりうきどりないしょう)に、味を附けたる手前味噌、塩ほの辛(から)いをお見捨てなく、眠気を醒まし鬱悒(たいくつ)を、除くばかりの功能(こうのう)をお笑ひぐさに勧懲の、二つは格別ほね折らず、利益(りやく)の有無は先様次(し)だい、記者は戯(たは)ぶれて筆を執り(実は一生懸命)看官衆(けんぶつしゅう)のおしかりを、百も承知の上(うへ)を見ぬ鷲都(わしくまたか)の爪のさき、なんでもかでも引きかけて、只(ただ)おかしきを旨意(しゅい)なれば、皆様その気で毎号の発兌(はつだ)いそいで御評判々々々

イヨ口上ー

発兌(はつだ)>発刊