浅草漫憶(水島爾保布)

絵も良いけど、文章も旨いな、当時はやった漫文でも有名だった水島が見世物の砂画(絵)について回想(既出聖潮<浅草号>より)していたのが、目に付いたので引用。

(略)
いつも淡路様の近所に店を張っていた砂画き婆さんは無論死んでしまったろう。・・・・今度は中の町の夜桜先ず最初にこう桜を描いて花を一つ二つ三つ・・・・などと喋りながら茶色の砂で幹をかき白い砂で花を点じる。
ーここへ雪洞を一つこう立てて、こちらへは引手茶屋さんの提灯・・・・小さな拍子木をカチカチと鳴らして、ーさて夜になったのであかりがつきます。そういって赤い砂をスッと指の間から流す。砂時計のように糸を引いてポツリポツリと赤い点がつく、ーこちらからは白井権八、若い白衣姿のいい男、などといいさらさらと前髪立ちの姿をやってのけるこちらは、小紫花魁だが・・・と、そこで側の水桶を持ち出して、これからいよいよ小紫が水鏡とあって水の中に現れるんだという以上で、さんざん思わせ振りのせりふを並べ立てお立ち会いに投げ銭を請求する。景気のいい時にはポンポン投げられる銭の為に桜も提灯も白井権八もチャチャメチャクタ(ママ)に崩れてしまう。花には嵐白井権八はあばたになろうと、いえもう決して不足は申しませぬなどと婆さん大恐悦だ。
 とにかくに不思議な技巧の婆さんではあったが、自分で描いて自ら崩す砂画と等しく婆さんの姿も今は全く消えてなくなってしまった。近い樹陰にしょんぼり残った瓜生岩子銅像を見るたんびに、その婆さんのお喋りを思い出すんだから諸行無常だ。

鬼太郎のキャラの砂掻け婆(ババ)さんじゃないよね

見世物という俗、
一方
かって聖性を帯びていた砂絵ならナヴァホインディアンとかラマ僧曼荼羅http://www.bbc.co.uk/religion/religions/buddhism/features/mandala/
見ることの聖俗