風来山人の視点

utu2006-09-05

<風来山人>
中村幸彦校注者
日本古典文学大系55岩波書店
1961.8.7初、83.1.10.18刷り
吉原細見里のをだ巻評>
吉原を中心とする色町についての論評。
古遊散人が廃れても、やはり吉原、格が違うといえば、反対派の麻布先生の門下の花景が吉原が廃れて岡場所の隆盛しているに肩を持ち、ケンケン諤々の議論。そこで麻布先生が中庸というか現実的な物の見方を呈示する>それだけといえばそれだけの咄だが、そこには奇矯とのみ思われがちな源内にも、意外とバランス感覚のようなものも働いているんだなと思った。

岡場所(非吉原)の売女の名称など以下引用
走りがね>校注者も乱歩等の挿絵家であると共に男色研究家でもあった、あの既出岩田準一の論考を参考にしている

(略)
寛(げに)治(をさま)れる御代の御ン恵み、繁花の地は都鄙(とひ)を限らず色里多きその中に、押し出シたる免許の地有り。擬者(なぞらへもの)有り、かくしもの有(り)、地者有(り)、はんかあり。其品々をいはゞ、傾城・湯女、白人(はくじん)・踊子、比丘尼(びくにン)・飯盛、綿つみ、夜鷹・蹴転(けころば)し・舟饅頭(まんぢう)の類(たぐひ)は、小哥にも出たれば、人々の知るところなり。近年提籃(さげぢう)と称するは、持ちはこびの手軽きよりいひはじめ、山猫と名付けしは化けて出るといふ事ならん。また地獄とあだ名せしは、其始清左衛門となんいへるもの、此事を企てけるを、箱根の清左衛門地獄にもとづいて、仲間の合詞に、地獄々々といひしより、今は其名とは成(り)にけらし。
ものの名も所によりて易(かは)るなり。浪花にては惣嫁そうかといひ、伊勢の鳥羽、・あのりにては走りがねと呼(び)、(略)