<虚と実>

高橋お伝についての言及2、3

①[ニュースという物語]
“毒婦”の誕生
平田由美

しかし、ただ一件の殺人を確認しうるお伝の犯罪は、ここでは、窃盗、詐欺、密売春から数件の殺人および殺人未遂事件にまで膨れ上がっている。こうしたお伝の凶悪化は、起泉の『東京奇聞』においても同様であった。

つづき物、草双紙、歌舞伎と、「毒婦お伝」を語る数々の物語は、極刑の執行という結末において共通するだけで、処罰とその事由たる吉蔵殺し以外に物語を「事実」に繋留するものは存在しない。最後にそこへ着地しさえすれば、それ以前にどのような虚空へ浮上するのも自在であるかのように物語は飛翔していった。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1999news/04/405/0405.html次ページ以降画像有り

明治の濫觴期の小新聞の記事に見える<虚と実>、語られる対象・内容と語り手、これらをどのように読み手が受容したか、これはこれで面白い論点だが、ただどうなのだろう、お伝が明治の東京で女手一つで生活できたのだろうか?確かに裁かれた事実とは金ほしさの後藤吉蔵殺しだが、公判の起訴事実のみの犯罪を犯していたとは到底思えないのだが・・・>オレの下司(げす)の勘ぐりだろうか。
。夫道之助を殺したかどうか、これは兎も角(分からん)、既出綿谷雪が指摘するように、少なくとも窃盗、詐欺、密売春ぐらいしなくては生きてゆけなかっただろう。
 であるなら、あながち、魯文のフィクションとばかり言えないのではないのか。

②「作られた毒婦」高橋お伝

初期の新聞記事を見る限り、お伝は病夫を抱え、苦労の末に借金返済に困って殺人を犯した不運な女性としか見えません。「毒婦・お伝」は、絵草紙や芝居という当時の大衆的メディアが、「商品」としてつくり出した虚像だったのではないでしょうか。
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/meiji32m.htm

>毒婦と聖なる女性、大衆が欲望した神話のコインの裏表だろう


http://www.tokyo-np.co.jp/120th/henshu/gekidou/gekidou_040510.html

魯文は、「仮名読新聞」や「いろは新聞」のほか、明治17(1884)年夕刊紙創刊「今日新聞」(現在の<東京新聞>が生まれたのか?知らなかった、と言うよりか、この新聞知らんのですけど汗)に主筆として活躍していたのか。