山口昌男のいもづる戦略<内田魯庵山脈>
ぼく自身が魯庵に関心を持ったのは、もともと昭和初期エログロナンセンスの闘将梅原北明グループの斉藤昌三のに関心があり、その師匠と言われていたから。
魯庵の随筆には、なんともオチョケまくり、権威をコキおろす筆捌きに圧倒される(文学者となる法)と同時に洋の東西古今分け隔て無く筆の赴くまま自由自在にその該博な知識を披露するとともになにやらモダンな合理精神(萬年筆の過去、現在及び未来)をも感じさせるところに感心した。
- 作者: 山口昌男
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2001/01
- メディア: 単行本
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しかしそれも杞憂>山口の戦略は、外堀から攻め、それこそ芋づる式に明治後半の奇人達人通人をこれでもかこれでもかとコレクションし、次第にそのキュリオ・奇の本体である魯庵に迫り、最後に<いもづる>主宰の斉藤昌三にして彼について簡潔に語らせると言う心憎い手法である。
ところで山口のテーマは?
知のネットワークとかそんなことはあまり問題ではない。
実は600ページに渡る大分な本だが、言いたいのは437Pから445Pの正味7,8Pこそが本題でありすべてである。
それは蒐集ということ。
山口は魯庵の文を引きながら蒐集という行為が鬼面人を驚ろかす行為を内包していると言いたかったのだ。そう、その分類を逸脱するアナーキー性こそ僕たちの関心をひくのだ。
ちなみに最後にジャンク蒐集アートの大御所クルト・シュビィッタースのメルツの作品を最後ページに掲げている。↓
このヒントから分かるように、山口はここで魯庵を語りながら実は自分の方法を語っていたのだ。
私事に渡ることや、自分の専門分野や大学制度の批判の言葉を吐きながら、それらをメランジュ、混合させ、コラージュした、メルツ風にしあげた作品がこれだった。というわけ。
そう言う意味で前半江戸趣味や荷風を持ち上げすぎている嫌いはあるものの、山口の戦略は<芋づる式に>成功している。>文も魯庵じゃないが、円熟してますよ山口さん
PS(5,29)
ぼくの返礼
Kurt Schwitters 1922 Crayon and pasted paper
http://www.peak.org/~dadaist/English/Graphics/index.htmlより