ニジンスキーの周辺2

たまたま、リビングのゴミ(本)棚の眼にはいるところにあった本(<肉体の芸術>石福恒雄 1968、2,29紀伊国屋新書、以下コレを参照)を一昨日読んで、昨夜キーワード<ニジンスキー>をみると、次の通りで、ちょっとひっかかった。>キーワード編集すればいいんだろうけど>面倒なんで>ものぐさ(自嘲
別にかかはった人に対してイチャ文つける気はさらさらありません)汗
ニジンスキーとディアギレフとの決別(原因)につき

自ら振り付けを行った「牧神の午後」(1912)では敢えて跳躍や回転といった激しい動きを殆ど行わず、また性的な表現でセンセーションを巻き起こした。

この件からディアギレフとの仲が悪くなり、加えて彼に無断で結婚したことで1913年ロシア・バレエ団を追われる。

『この件からディアギレフとの仲が悪くなり』となっているが、そうなのか?
Leon Bakst - Nijinsky in the ballet
L'après-midi d'un faune, 1912

1912年パリでの<牧神の午後>公演は物議を醸した。ニジンスキーは舞踏上の伝統的な桎梏を突き破り、革命的だっただけでなく、最後のシーンが、性的にかなりきわどいものだった(牧神のスカーフで射精したらしい)。
 
 確かに、これに対し最初フィガロ紙から「色情的・・・破廉恥なしぐさ」と非難が浴びせられた。しかし、ロダンの賞賛でむしろロシアバレー団の評価は変わり、ついには成功を収めることができたのだ。
 
 したがってその代表者・プロデューサー・ディアギレフにとってニジンスキーに不満などあろうはずもなかった。二人の関係はひび割れてなかった。それどころかむしろが逆に二人のバレー公演に対する情熱、そして連帯感をいっそう強めることとなったであろうことは間違いなかろう。

であれば、『この件からディアギレフとの仲が悪くなり』は考えにくいのではなかろうか。いやむしろ

 そしてその後1913年ロシアバレー団は南米公演に出発した。
ところが、ニジンスキーブエノスアイレスハンガリー人のロモラ・プルスカと突然結婚し、新妻と一緒にパリにもどってきたのは、ディアギレフには、それこそ、青天の霹靂。周知の通り、ニジンスキーとディアギレフは同性愛の仲だったからだ。
 いわば三角関係の中でがニジンスキーに裏切られたようなもので、嫉妬のあまり怒り心頭した彼がバレー団からこの二人を追放(クビに)したのは当然と思われる。

They were married in Buenos Aires: when the company returned to Europe, Diaghilev, in a jealous rage, fired them both.
(参照http://en.wikipedia.org/wiki/Vaslav_Nijinskyより、画も)

そう考えるのは、ゲスの勘ぐりでしょうか?

蛇足
 まー、三角関係、恋愛当事者のホント(事実・真実)ってのも部外者には分かりようがないけど・・・・
二人ともロシアバレー団の両輪の輪だったのに・・・
狂ってしまった天才を支えたフツーの奥さんの人生<ドラマ>て野次馬のぼくには、ニジンスキー(あ、馬じゃないです、笑)以上に興味が湧く

<肉体の芸術>石福恒雄 )コレは身体の現象学の視点から書かれた精神科医ニジンスキー論でイケルね>あー絶版かよ)号泣!