萩原恭次郎<死刑宣告>②

既出
今日読み返していて、萩原恭次郎の詩でおやと思ったのがこれ

夏の日の恋

器械体操する少女のお尻と 教会堂の屋根が輝く

聖書を読み上げる父親

台所で豚のやうに働いている叱られてゐる母親

しなびた大根と説教

ー禁制の建て札

ーいつか逢曳のうちに

ー娘の指からはぬかれた


男の腕に寄りかかつた娘の胸と腹に

素的に怖ろしい ゴッホのやうな向日葵が咲く


器械体操する少女のお尻と教会堂の屋根が輝く

天なる神よ!

 繙(ひもと)けば、マヴォの仲間の岡田龍夫の実験的タイポグラフィーや恭次郎の詩の中の言葉、例えば、群衆、工場、煤煙、ピストル、眼球、墓場、借金、血、首、自殺等の言葉がやたらと頻出し当時の彼の内面の鬱勃としたアドレッサンスと時代(社会)の緊張関係が伺えて、それはそれで面白いし、また当時の既成詩・文壇の言語に対する意識より遙かに進んでいて、たぶん昭和の<詩と詩論>辺りまで待たなければならない程の言語破壊の姿勢・精神が充ち満ちていて、今なお十分読むに耐えるものがあると思う。
 確かにそうなのだが、このほかに、同詩集の中で、こんな色ぽい、しかも明るい詩もあることを忘れまい。
これも当時の世相と彼自身のアドレッサンスとの奇妙な幸福な蜜月だったのか?
惜しむらくは、後年確かナショナリスト*1になったと記憶しているが・・・と言うより、後の詩が情けない・・・
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/poem.html,参考

*1:1937 5月、西東書林発行の『現代日本詩人論』に「萩原朔太郎論」を収載。年末あたりより健康すぐれず。なお思想的に新しい面を漸く展き、民族的自覚を明確にす。http://www.ocv.ne.jp/~kameda/hagiwara-chronicle.html より