青白いドラキュラ伯爵

処女の生血 (1974/米=仏=伊)
Blood for Dracula
ブラッド・フォー・ドラキュラ
[Horror]
製作 アンドリュー・ブラウンズバーグ / アンディ・ウォーホル
監督 ポール・モリセイ
脚本 ポール・モリセイ
撮影 ルイジ・クヴェイレル
音楽 クラウディオ・ジッツィ
特撮 カルロ・ランバルディ
出演 ジョー・ダレッサンドロ / ウド・キアー / マキシム・マッケンドリー / アルノ・ジュエギング / ヴィットリオ・デ・シーカ / ロマン・ポランスキー / ステファニア・カッシーニ / ドミニク・ダレル / シルビア・ディオニシオ 映画批評空間より

 ドラキュラ伯爵が処女の生血を求めアルバニアの古城からはるばるイタリアまでやってきて、没落した貴族の一家姉妹を狙うが・・・・

批判、諷刺の度で言えば、同年の悪魔のはらわた (1974/仏=伊)
Flesh for Frankensteinの方に軍配が上がる。>笑いすぎて腹が痛かった

 いかんせん、最初のシーンに暗示されているように伯爵は長らく血を吸ってないため病弱で、生気がなく、その濃い顔貌とは裏腹に、干からびて死にそうだった。案の定、ドラキュラはラストシーンで使用人に退治されてしまうという、何とも嘆かわしいストーリー。>勿論パロディーなのだが・・・
 やはりカメラの視点が、ドラキュラ伯爵演じるウド・キアーから貴族の使用人演じる、(A・ウォーホルお気に入りのバイセクシャルな)ジョーに移るにつれ、どう見ても性的な魅了では逞しくてしなやかな肉体の持ち主の彼に伯爵は太刀打ちできないのだ。>ボクには ウド・キアーは魅力的だったのに↓(http://static.flickr.comより画像)
              
 しかし、この映画の中途半端さというか、セックスシーンの過剰サービスも、よくよく考えてみれば、伯爵が処女の血を追い求めるという当時の古い考えや世相を痛烈に批判していたので、論理的には一貫性があるのか。
 確かに、長女の喉に食らいつき血を吸う場面で、彼女の顔が恍惚状態だったし、伯爵もご丁寧に下半身をブルブル痙攣させてみせ、観る者に十分過ぎるほど性的意味合いを放出。だが、このドラキュラには余りにも性的エネルギーが足りなすぎた。代わりにタラタラ流れる血(生け贄の女のものでなく、ドラキュラが一端呑み込んだ女の汚れた血を吐血し)が、これこそがその後真似られて、陸続とリリースされスプラッターの原型のようなものだったのだと知った。
邦題感心するね>キッチュさとエロさで絶妙!
ポ−ル・モリセイについては↓
http://www.paulmorrissey.org/