帷子耀の詩・私・子・死・紙・視

子供がつくたゴム版


現代詩手帖>1970年1月号で、ほかの選考者鈴木志郎康渋沢孝輔のネガティブな意見に対し、寺山修司の強引なとも言える推奨により<第10回現代詩手帖>賞を受賞した弱冠15才の少年。

選考座談会で寺山は言う。
 詩の中にオリジナルな言語なんかありはしない。というのは、それは身近な経験に基づく記憶のコラージュにすぎず、頭の中で速度のズレによって文体の様相・表現・詩に変換されるから。だからオリジナルな言語のない現在、詩という表現はただ言語を記録するレース・速度の問題にすぎないと。こうした現状(詩)認識の下で

帷子君の詩は、手法的にユニークだし完全に現象に埋没して無思想になっているという意味の堕落ぶりがなかなかいいんじゃないかな

と彼特有(寺山節)の擁護・賞賛の言葉を捧げ、それと当時に最後に次のように警告を発していた。

ただ、帷子君が言葉で遊んでいるのか、あるいは言葉が帷子君を遊ばせているのか、ということが問題だな。

現代詩手帖思潮社1971,1月号より
心中 帷子耀

汝等は我の聖民(きよたみ)となるべし
汝等は野にて獣に裂かれし者の肉を食らうべからず
汝等これを犬に投与(なげあた)ふべし
    (出埃乃記二二)

 寝ころんでいる場合じゃねーす。詩なんですから(至難ですから)。
そこらの小説じゃナイス。一字読むのに何分もかかるエネルギーを要求するl'ecture
一意的意味を探しても意味ねーす。が、ぼく(たち)の過ぎ去った蒙古斑の青いとき、性や意識と肉体のズレや生活の古層の亀裂、そこから流れた瑞々しくもおどろおどろしい血をこれほどアクロバティクに真摯に、しかも時には無邪気に遊びながら、言葉にしたものはない。そのように、かって思ったし、今もその衝撃の強度がこちらの怠惰で弱まったにしても、懐かしさとともに眩暈が渦巻くのをいかんともしがたい。

心中


流れ
街流し
血を流し
翳り読んだ
生命線経緯を
ナイフで刻んだ
名もなき水呑みに
緑青を濃くしている
不発を揺籠のようには
揺すれぬ伏せ目を向けた
往時を逆睫毛に塗りひろげ
マスカラを 必死で暗くする
老いた母胎に月が足りぬのか!
もっともっと神なき月をこの地に
招集せよ!遅かった軍靴を耳鳴りに
雪ばんばあなたのあぶらづいた片鱗は
桜花のごとく満開となった脳天に黒髪を
のませ吐血に迷い黒髪にからみひとひら
鱗を名のり充血し黒髪を血の道へと迷彩した
浅い夢の精として半人半魚に認知されうる!
夢の夢 まっかな生命線を視せてはならず
夢の夢 てのひらをかえさねばならぬか
なにくわぬ 真実なにもくわぬ老母の
鎌首を<我>にかえらせねばならぬ
それだけだそれだけだそれだけだ
緑青をふく独裁に燦然と生きた
花道修検道が出土する水無月
水に流したのか!藁を掴み
優美に溺れた他人たちの
本気でとがった両耳が
巨きくかに股を裂き
たゆたった血潮が
描きついだ日の
丸!みろみろ
たえだえに
わたしが
呻いた
蜜の

 旧約聖書から引用された言葉の横に数丁の銃をベルトにひけらかした少女の写真がハレーションを与えた。(フェイ・ダナウェイでなくほんとのボニー→)       
 これがボニー&クライド(映画<俺たちに明日はない>の実話)の金髪娘ボニーの眩しげな表情をとらえた写真だということを知ったのは、それから何年かたってからだった。
煌めくハレに盲目いたぼくは幾千の銃弾を吐くことはない。