<メディアとしての紙芝居>

<メディアとしての紙芝居>
鈴木常勝著(以下写真同書より)

戦前の紙芝居を中心にした論考
著者自身が紙芝居を国内外で催しているだけに説得力があって面白かった

 隆盛しだした紙芝居について、俗悪、非教育的であるとして、教育関係者や都市文化人層から非難され、題材内容が残忍、猟奇、肺病・天刑病の誇張、子供への悪影響を与えるものは、取り締まられた(1935)。
 一方、子供への教化に注目し
キリスト教徒の今井かねによって福音(宗教)宣伝(プロパガンダ)として<少年ダビデ>が演じられた
左翼の松永健哉らによって学校教材として活用される
さらに高橋五山による印刷紙芝居の動き。
これらは皮肉なことに30年代後半に国策紙芝居へ吸収される。
国(日本帝国)のための良き兵隊さんへ馴致・強化するための(思想教育=プロパガンダ)のためである。つまり、戦争も深まる中で国策紙芝居が隆盛し子供の教育に重要なプロパガンダを果した。

メディアとしての紙芝居 (日本児童文化史叢書)

メディアとしての紙芝居 (日本児童文化史叢書)

 こうした流れを丁寧に検証して行く一方で、注目すべきは筆者独自の観点から

<読み替え>
 紙芝居+おじさんの話 時にはアドリブを交え絵や物語をする紙芝居のおっちゃん
<読み込み>
 アドリブ対する疑問、不思議、驚異を、その場で反発や混ぜ返す子供なりの読解力・解釈 子供ながら自由に考えるフレキシビリティ・自由度。

与え手(大人)→子供
でなく
与え手(大人)→←子供の相互インターフェース・交流とうい視点から論じていたからだ。

残酷性や俗悪性にふれ次のように書いている。

社会から疎外される異人、或いは、悪人にいたぶられる弱者への共感は、子どもたちの無力感や挫折感から生じる。異人や弱者が悪人への復讐をなしとげる奇怪なものは、彼らに欠かせぬ題材だった。
(略)
その時、弱者であることを自覚している子どもたちもまた、強大な社会と無力な自己の折り合いをどうつければいいのかを模索している。

何か示唆的ではないか、そう僕は思った

蛇足(そのほか面白かった点)

①当時朝日新聞が国策紙芝居の供給元として日本教育劇画(株)を設立していたこと。
ちなみに前に触れた<戦中戦後紙芝居集成>は自社のことには何もふれていない(ドハx−)

②鬼太郎 水木しげる神戸で実際紙芝居を制作していた>俗悪性で非難された<墓場の奇太郎>がタネだったのか
妊娠中の母親が墓場で生き埋めにされ、土中で出産生まれた子供がその復讐をするという
ストーリー

③そう言えば、敬愛する白土三平も一時期紙芝居を作製していた

街頭紙芝居コレクション←ちょっと見られるhttp://www.digital-lib.nttdocomo.co.jp/nihonbunka/kamisibai/